名前秋元 康
あきもと やすし
出身地東京都目黒区
生年月日1958年5月2日
主な担当番組– ザ・ベストテン
– オールナイトフジ
– 夕焼けニャンニャン
– とんねるずのみなさんのおかげです。

事前アンケートはお願いせずに全て現場でインタビュー取材

Q:放送作家になったきっかけは?

Q:今まで自分が通した中でベストな企画は?


 この取材にあたって、秋元さんが出された本や、過去に取材を受けた雑誌記事を色々と調べさせていただいたんですけど、今日は出来るだけ他でお話してないことをお聞きしたいので「放送作家になったきっかけ」は割愛させていただきます。色々なところでお話されてるので。

 分かりました。

 まずは、秋元さんは17歳で放送作家を始められていますが、テレビをメインに仕事をされていた時期って、どれくらいの本数をやっている売れっ子作家だったのか?っていうところからお聞きしたいんですが。ピーク時で担当番組は何本ぐらいあったんですか?

 うーん、当時の本数とかをちゃんと覚えてないんですよね。純然たる放送作家としてやっていたのは、17歳から21歳くらいまでですからね。その後はもう歌詞を書いていましたから。

 大ヒットした稲垣潤一さんの『ドラマティック・レイン』の作詞をされたのが、確か24歳の時ですもんね。そして、その翌年には名優・伊武雅刀さんが歌われた『子供達を責めないで』(原曲:サミー・デイヴィスJr.歌唱)で、斬新で強烈な日本語歌詞も書かれていますよね。では質問を変えまして…秋元さんは放送作家としてはどういうタイプだったのでしょうか?例えば、小山薫堂さんは、知的でオシャレな番組を作られているな、とか。三木聡さんは、くだらない細かいお笑いが得意なんだろうな、とか。成功された放送作家の方にはそれぞれの“色”を感じるのですが、ご自分ではどういうタイプだったと思いますか?

 それでいうと「プロデューサータイプ」かもしれないですね。ある程度、仕事を任せてもらえるようになってからは「こういうことがやりたいな」と思ったら、テレビでやるのがいいのか?ラジオでやるのがいいのか?CMでやるのがいいのか?映画でやるのがいいのか?それとも音楽でやるのがいいのか?そういうプロデューサー的な考え方になっていったような気がしますね。

 やはり放送作家としてもプロデューサー脳が強かったんですね。では、アンケートの項目にあるんですが、放送作家としてこれまでテレビ番組で考えた企画の中で「ベストな企画」だと思っているものは何ですか?

 好きだったのは『ねる様の踏み絵』ですね。あまりにくだらない番組でしたからね。

 あ~、『ねる様の踏み絵』ですか。企画者としては、くだらないことがお好きなんですか?

 そうですね。カップルをシャッフルして違うカップルを作るっていう番組なんですけど、僕は好きでしたね。それか、今放送している『青春高校3年C組』です(笑)

 そう言っていただけると、番組に関わらせていただいている僕としても嬉しいです(笑)秋元さんが過去に話された記事の中で「ある程度の年齢になってからは企画の考え方も王道になってきた」ということをおっしゃっていたんですが、若い頃と今では、企画の考え方は全然違いますか?

 放送作家を始めた頃って、深田君もそうだったと思うけど「何が自分の1番の武器か」ってことじゃない?

 はい。

 劇団出身の人であれば、舞台でやっていたお笑いのセンスが武器です、とか。コントが得意です、とか。僕の場合は高校2年で放送作家を始めているので「最年少」ということが武器だったの。当時は、大学生で放送作家っていうのもあまりいなかったから、リスナーや視聴者に年齢が近いということが僕の武器だったからね。会議には企画を判断してくれる大人たちがいたから、僕はわりと無責任に自分が面白いと思う企画を出していたんですよね。それがだんだんと自分が企画を決めなきゃいけない立場になってくると、そうはいかなくなってくるよね。

 やはり責任ある立場になってくると「外してはいけない」という考えも強くなってくるということですよね。テレビの企画だと『ねる様の踏み絵』。では、作詞家として「ベストだと思っている曲」というのはありますか?

 うーん、何だろう。やっぱり世間的に評価していただいているのは、美空ひばりさんの『川の流れのように』かな?でも、放送作家的な発想でいうと好きなのは『なんてったってアイドル』とか、伊武雅刀さんの『子供達を責めないで』とかなんですよね。とんねるずの『雨の西麻布』を作った時も楽しかったし。

 あ~、なるほど。

 作詞をするようになった時も初めは「自分の優位性が何か?」ってことを考えたんですよ。自分は松本隆さんのようにミュージシャンではないし、なかにし礼さんのようにフランス文学を学んだわけではないし。唯一、自分にあるのは“放送作家”ということだったからね。最初は詞を書くというよりも、放送作家として「この人が何を歌ったら面白いかな」という、企画を考えるような感じでしたからね。

 美空ひばりさんの『川の流れのように』は、そういう意味では放送作家的な発想で書いた詞ではない、ということですよね?

 そう、あれは元々シングル用に書いたものではなかったからね。放送作家的なプロデューサーの僕としては「ハハハ」という曲、美空ひばりさんの「ハハハ」という笑い方を書いたものをシングルにしようとしていたんですけど、ひばりさんが「どうしても『川の流れのように』をシングルにしたい」とおっしゃったので、途中でひっくり返ったんですよね。