名前日髙 大介
ひだか だいすけ
出身地宮崎県宮崎市生まれ
静岡県浜松市育ち
生年月日1977年10月28日
主な担当番組 – 高校生クイズ
– クイズ!ヘキサゴンⅡ
– クイズプレゼンバラエティー Qさま!!
– 超逆境クイズバトル!!99人の壁

アンケートへの回答をもとにインタビュー取材

Q:放送作家になったきっかけは?

1997年、大学のクイズ研究会の先輩が『高校生クイズ』の問題を
作っているのを見て、
「なんですか?それ?」→「え!?来年やらせてください!!」


 日髙さんといえば「クイズ王」としてメディアに出られることも多く、放送作家としてもクイズ番組に関わることが多いと思いますけど、そもそもクイズに興味を持ったきっかけは?

 「クイズにハマった」「勉強しようと思った」というポイントは14歳なんですけど、小学生の頃から「アメリカ横断ウルトラクイズ」や「高校生クイズ」など、大きい番組は毎年夏や秋になると必ず夢中になって見ていましたね。もっと言えば、物心つく頃にはクイズ番組のセットの電飾の色や、クイズに正解した時のサウンドに反応していたみたいですね。

 へぇ~、クイズ番組の「色」と「音」に惹かれていたんですか。
   
 「クイズ100人に聞きました」「アップダウンクイズ」「スーパーダイスQ」「クイズ・ドレミファドン!」などの番組に反応していたようです。僕自身も覚えていますが。小学1年生の時に、「三枝の国盗りゲーム」で出題された
「Q:ギリシャ文字のアルファベット。最初の文字はアルファ、では最後の文字は?」という問題に、テレビの前で「オメガ!」って答えて正解したのが、人生で最初の「会心の正解」でした(笑)

 すごいですね(笑)それって親の教育があったんですか?

 確かに親もクイズ番組好きだった記憶はあるのですが・・・。僕は宮崎市出身で、よく言われますけど、宮崎市内って民放のチャンネルが2つしか映らないんですね。僕の小さい頃は視聴者参加のクイズ番組がたくさんあって、テレビをつけたら少ない民放の中でクイズ番組が流れていることが多かったんです。それで自然とクイズが好きになっていった感じですね。でも、クイズ番組に限らず、そもそも生粋のテレビっ子なんですよ。

 確かにアンケートを見て、テレビ好きの感じはビシビシ伝わってきました(笑)それで14歳の時に何があったんですか?

 中2の時に「FNS1億2000万人のクイズ王決定戦!」という、逸見政孝さんが司会で、春・秋2回のフジテレビの特番があったんですよ。一般参加の番組だったんですけど、出場するのに年齢制限がなかったんです。その番組で、約1万5千人の中からペーパークイズを勝ち抜いて全国上位100人に残っている人がいて、その人が僕と同い年だったんですよ。それが深澤くんっていう子なんですけど。

 あ!(放送作家の)矢野さんがこのサイトのインタビューで「ほとんど勝てなかった」とおっしゃっていた方ですね!

 そうですそうです!それで「僕も深澤くんみたいにテレビに出たい!」と思って(笑)クイズの勉強を始めたんです。「ウルトラクイズでニューヨークに行きたい」っていうのと「クイズ王決定戦でベスト100に残りたい」っていうモチベーションで、独学でクイズの勉強を始めたんですよ。

 なるほど。当然、高校生のときは「高校生クイズ」には出ました?

 もちろん出ました!3年とも出場しましたし、高2のときは運よく全国大会にも行かせてもらいました。少し遡りますが、「アタック25」中学生大会の予選も受けに行って、静岡予選でペーパーテストをトップ通過したこともあるんですよ。

 お~、さすが。

 それで「アタック25」のオーディションって、ペーパーテストを通過すると集団面接があるんですね。僕も中学2年生にしてはいろいろネタを持っていて、番組スタッフの方に「日高さんはモノマネが得意なんですね?」と振られて。なるほど、こっち方面か、と(笑)「はい!得意です。ものまね四天王では栗田貫一さんが好きです!」なんて言って、当時流行っていたチャゲアスの歌マネをしたんですよ。そしたら、スタッフにも同時に面接を受けている中学生にも、すごくウケたんです。「よかった、これは通ったな」と思っていたら、見事に面接で落ちて(笑)朝日放送からハガキが来て、「あなたは面接で不合格です」なんて書いてあって。結局、中学生大会には出られなかったんですよ。

 あら、なんでですか?

 「なんでだろう? ウケたのになー」とか思いながら、実際に中学生大会のオンエアを見たら、灘中学とか、とにかく真面目そうなメガネの中学生4人が出ていて。「そっちか~!方向性を間違えた~」って(笑)「そっちならそっちのキャラもできるのに~」って(笑)僕はモノマネを振られたから、忠実に全力でやっただけなんですけど、まあ、僕みたいなキャラは、求められてなかったんでしょうね。
   
 (笑)ちなみに矢野さんとは学生時代に出会っているんですよね?

 今も続いている「高校生オープン」っていうクイズ大会があるんですけど、高3の時に、その大会の会場で出会いました。僕はテレビに出ていた「深澤くんに会いたいな~」と思って(笑)勇気を出して浜松から単身・東京に出向いたんですけど、その深澤くんたちと仲良さそうにしている、なんだか体が丸い奴がいて、それが「矢野了平」だったんですね。決勝には5人が残れたんですが、その回は5人の中に深澤、矢野、僕の3人が残ったんですよ。

 お~、すごいメンバーですね。その時に優勝したのは誰なんですか?

 その時はぶっちぎりで矢野了平でしたね。その大会、矢野が神がかっていたというか、絶好調だったんですよ。まあ初対面だったので、もともと強い奴だったのか、たまたま調子が良かったのかは知りませんでしたが、いま思い返すとね。その大会の『記録集』が残っていて、最近読み返したんですけど、決勝では1問を除いて全問、矢野か深澤か僕が解答権を得ていました。見事に空気を読んでいなかったです(笑)

 3人の実力が飛び抜けていたんですね。

 どうなんでしょう?まあ3人とも決勝に行ってますから、ある程度はそうかもしれません。

 そこから2人とは仲良くなったんですか?

 どうなんでしょう。おそらくその時はそこまで仲良くなった感じではなかったと思います。とにかく一人ぼっちでした(笑)矢野と深澤の2人は、当時から関東で一緒にクイズをやっていたので、その頃から仲が良かったと思いますけど。僕は浜松から一人で遠征した身でしたので、そんなに2人と話すという感じではなく。僕は浜松で一番強い高校生だと思っていたのに、東京に行ったら自分以上にクイズ強いヤツらがいて、なんだコイツらは? と。でも向こうにしてみたら、浜松から得体の知れないクイズ好きが来た、と気味が悪かったらしいです(笑)

 では、仲良くなられたのは大学時代ですか?

 そうですね。

 ちなみに日髙さんは大学はどこに行かれたんですか?

 一浪して、慶応に入りました。本当は東大を目指していたんですけどね(笑)運が悪くパニック障害という病気になっちゃって、センター試験の本試では試験会場に向かうことができず、追試では1日目の最後、数学の試験中にリタイアしました。だから東大はおろか、国立大が受けられなかったんです。受験勉強は大好きだったんですけどね。

 やっぱり勉強も出来たんですね~。

 僕にとっては勉強もクイズも同じ感覚で、とにかく勉強が楽しかったんですよ。なんなら今でも東大に入りたいと思っていますし。今でもカフェに受験参考書や問題集を持ち込んで、勉強するのが楽しいんですよ(笑)今は数学にハマっていますね。

 やっぱり世の中には変な人がいますね~(笑)それってどういう感覚ですか?覚えることが好きなんですか?それとも「問題が解ける」ということが快感なんですか?

 たぶん、「上達する」というプロセスが好きなんだと思います。

 そうですか~。矢野さんは東洋大学なのでお2人は違う大学に行かれたわけですけど、クイズ研究会の交流で仲良くなったってことですか?

髙 そうですね。
   
 クイズ好きがたくさん集まるクイズ研究会の中でも、矢野さんとは特に気が合ったんですか?

 当時、大学のクイズ研究会周りでは、問題文が長くて答えが難しい、「長文難問」といわれるクイズが流行っていたんですね。ただ、僕と矢野くんは「テレビクイズ」が好きだったんですよ。それで話が合ったのかもしれないですね。

 やっぱりクイズの中でもそういう趣味・嗜好があるんですね。それで「高校生クイズ」の問題を作る仕事を始めたのは、いつなんですか?

 大学2年生の時ですね。当時は「高校生クイズ」の問題を大学のクイズ研究会が作るっていう慣わしみたいなものがあって、1年生の時にそれを聞いて、
クイズ研の代表である先輩に、「来年、僕にもやらせてください!」って直訴しました。その結果、2年生の時から実際にやらせてもらえることになったんです。

 クイズ好きな大学生としてはワクワクする仕事ですよね。

 「好きなクイズを作って、お金まで頂けるの!?」って感じでした。それが1998年のことなんですけど、僕にとってはこの1年が激動の年で。2月に「アタック25」に出場して優勝もできて、3月に「高校生クイズ」の仕事を始めて、8月に「アメリカ横断ウルトラクイズ」が1回だけ復活しまして。矢野くんも僕も出場して、東京ドームで2人とも福留さんの「ニューヨークへ行きたいか―っ!」「オー!」のあの雄叫びに号泣するっていう一幕があったり(笑)

 そりゃ泣きますよね(笑)憧れの番組ですもんね。

 あとは、6月ごろから、ウッチャンナンチャンさん司会の「炎のチャレンジャー」でクイズを作るお仕事もやらせていただいて。僕にとっては激動の1年でしたね。

 それはすごい1年ですね。

 矢野くんがこのサイトのインタビューで、「アタック25」で深澤くんと対戦した話をしていましたけど、それも98年の11月なんですよね。

 へぇ~、すごい。

 高校時代までに培ってきた、クイズに対するパワーや情熱を、一気に放出した一年、という印象がありますね。1998年は。