名前内村 宏幸
うちむら ひろゆき
出身地熊本県人吉市
生年月日1962年6月22日
主な担当番組– 夢で逢えたら
– オレたちひょうきん族
–  ダウンタウンのごっつええ感じ
など

【取材後記】

放送作家とは不思議なもので、
一緒に仕事をしたこともなければ、会ったことすらない先輩にも憧れを抱く。

僕は、内村宏幸さんに憧れていた。

内村さんがどんなコントの案を出し、
会議でどんなアイデアをしゃべり、どんな台本を書くのか?
僕は知らない。

めちゃくちゃ失礼な言い方をすると、
内村さんが本当に面白い人なのか?優秀な人なのか?
僕はこの目で見たことが無いので実のところは今でも知らない。

でも、若手の放送作家にとっては、
仕事をしたことがなくたって、会ったことがなくたって、
「エンドロールで見る名前」と「歴代の担当番組」だけで、
“憧れる理由”として成立しちゃうのだ。

歴史に残る数々のお笑い番組を担当し、
大好きなウッチャンナンチャンを影で支えてきた内村宏幸さんに、
憧れないワケがないのだ。

そんな憧れの内村さんとはこの取材がほぼ初対面だった。

取材で記憶に残っていることといえば…「とにかく優しい」ということ。

「連絡遅くなってごめんね」
「こんなに混んでるカフェを取材場所に選んじゃってごめんね」
「2時間もしゃべっちゃってごめんね」

この優しさは内村家の血筋なのだろうか?

たぶんだけど、この穏やかさとか優しさは、
「年齢を重ねて丸くなった」という類のものではない。

きっとこの人は生まれながらに優しい生き物なのだ。

そして、意外だったことは…「新しいことをやりたい意欲が強い」こと。

内村さんの経歴から、勝手に僕は職人肌の人物をイメージしていた。

「放送作家はテレビの仕事だけやってりゃいい」
「俺はコントさえやれたら他にやりたいことはない」

こんな感じの人だと勝手に思い込んでいた。

だから、この放送作家名鑑もあまり良く思ってもらっていないのではないか?とすら思っていた。

それが蓋を開けてみると「凄いと思った」とのお言葉までいただいてしまった。

生まれながらの優しさ、コントを何十年も書き続ける一途さ、
新しいモノを受け入れる柔軟性。

そりゃあ、みんな「この人と一緒に仕事をしたい」って思うよな~。

内村さんへの憧れは、取材したことでさらに強くなった。

深田憲作