

名前 | 白武 ときお しらたけ ときお |
出身地 | 京都府 |
生年月日 | 1990年12月17日 |
主な担当番組 | – ダウンタウンのガキの使いやあらへんで! 絶対に笑ってはいけないシリーズ – しもふりチューブ など |
アンケートへの回答をもとにインタビュー取材
Q:放送作家になったきっかけは?
▼小学生3年生のときに、クラスのほとんどの生徒が「学校へ行こう」を見ていて、そこからテレビを熱心に見るようになりました。
▼高校生のときにラジオ番組「放送室」を聞いて、放送作家という職業を知りました。
▼大学生のときに、高須さんのサイト「御影屋」で知ったレジェンド作家・中野俊成さんと鮫肌文殊さんが主催しているレコードをかけるイベントに行きました。そのとき隣の席に酔っ払った樋口卓治さんが座っていて、勇気を出して声をかけたことがきっかけで、放送作家見習い生活が始まりました。
Q:人生で1番好きだったテレビ番組は?
▼ワールドダウンタウン
▼働くおっさん劇場
それまで見ていたテレビ番組と全く違っていて、ダウンタウンさんを掘るようになりました。
深田 「放送室」っていうのはダウンタウンの松本人志さんと、放送作家の高須光聖さんがパーソナリティを務めていたラジオね。そもそもダウンタウンさんが好きだったの?元々お笑い好きだった?
白武 ぼくは高校生活があまり楽しくなかったので、高校3年間は「映画」と「お笑い」に捧げたんですよ。ツタヤに通って映画は年間300本、お笑いDVDと海外ドラマも合わせて、年間500枚くらい借りて見ていました。大学2年生まで毎年300枚は見ていましたね。
深田 すごいな!
白武 高校1年生のときにテレビの深夜番組を見始めるようになって、「働くおっさん劇場」で松本人志さんを凄く好きになって。それで「放送室」も聴くようになったんです。
深田 松本さんを好きになったきっかけが「おっさん劇場」って、珍しいかもね(笑)で、放送作家を目指そうと思ったのはいつ?
白武 大学に入って、新歓コンパとかに行っても「つまんないな~」と思ってた時期に、高須さんがやられていた「御影屋」というサイトを見て、放送作家に興味を持ちまして。
深田 それで中野さんと鮫肌さんのレコードのイベントに行ったんだ?そこは放送作家として潜り込むという打算のもと?
白武 半分それもありましたけど、単純にイベントへの興味もあって。中野さんと鮫肌さんから何枚もレコードをもらいました。3回くらいイベントに行ったときに、たまたま酔っ払った状態の樋口さんが隣に座られたので、思い切って声をかけたんです。そうしたら「来週、仕事場においで」とお誘いいただいて、1週間後に行ったら「誰だっけ?俺おいでって言った?」って言われて。酔っ払ってて覚えてなかったんですよ(笑)当時、樋口さんは「放送作家部」という部活をやられていて、放送作家志望の若手を集めて企画会議とかをやっていたので、なんとか、その一員に入れていただいたんです。
深田 そんな部活があったの知らなかった。他にその放送作家部出身の人はいるの?
白武 何人かいますけど、今でも仲良くしている鈴木遼くんという放送作家は、そこ出身です。
深田 その放送作家部からどうやって仕事にありついたの?
白武 当時やっていたオードリー春日さんがMCの「学生HEROES」という番組に、参加させていただくようになりました。エンドロールにも最初から出していただいて、ありがたかったです。
深田 それ何歳の時?
白武 21歳ですね。
深田 デビュー早いな~。おれ25歳で放送作家デビューだからな~。で、そこからは?
白武 「学生HEROES」で、のちに凄くお世話になる、ディレクターの渡辺資(わたなべたすく)さんに出会って、色々なお仕事に呼んでいただけるようになりました。資さんにはLINE LIVEやAbemaTVの黎明期にたくさん呼んでいただいて、おかげでぼくもネット番組に強くなりました。
深田 これは放送作家志望の方の参考になるように聞くけど、若手放送作家が何人かいる中から、なんで白武くんだけ可愛がってもらえるようになったの?もちろん、能力という部分はあると思うけど。
白武 なんでですかね?ぼく、資(たすく)さんがやられている番組が、とてもおしゃれだし面白くて好きだったんです。お会いしたら「あの番組のここが面白かったです」と直接言ったり、メールを送ったりしていたんですけど、ちゃんと見て面白いと思ったってことを伝えていたので、印象が良かったのかもしれません。気に入られようと思ってやったわけじゃないんですけど。
深田 そこは大事なんだろうな。色んな先輩もおっしゃってたけど、媚びようとして近づいてくる後輩には気づくから。そうじゃないと思っていただけたんだろうね。