
| 名前 | 日髙 大介 ひだか だいすけ |
| 出身地 | 宮崎県宮崎市生まれ 静岡県浜松市育ち |
| 生年月日 | 1977年10月28日 |
| 主な担当番組 | – 高校生クイズ – クイズ!ヘキサゴンⅡ – クイズプレゼンバラエティー Qさま!! – 超逆境クイズバトル!!99人の壁 |
アンケートへの回答をもとにインタビュー取材
Q:放送作家になったきっかけは?
1997年、大学のクイズ研究会の先輩が『高校生クイズ』の問題を
作っているのを見て、
「なんですか?それ?」→「え!?来年やらせてください!!」
深田 日髙さんといえば「クイズ王」としてメディアに出られることも多く、放送作家としてもクイズ番組に関わることが多いと思いますけど、そもそもクイズに興味を持ったきっかけは?
日髙 「クイズにハマった」「勉強しようと思った」というポイントは14歳なんですけど、小学生の頃から「アメリカ横断ウルトラクイズ」や「高校生クイズ」など、大きい番組は毎年夏や秋になると必ず夢中になって見ていましたね。もっと言えば、物心つく頃にはクイズ番組のセットの電飾の色や、クイズに正解した時のサウンドに反応していたみたいですね。
深田 へぇ~、クイズ番組の「色」と「音」に惹かれていたんですか。
日髙 「クイズ100人に聞きました」「アップダウンクイズ」「スーパーダイスQ」「クイズ・ドレミファドン!」などの番組に反応していたようです。僕自身も覚えていますが。小学1年生の時に、「三枝の国盗りゲーム」で出題された
「Q:ギリシャ文字のアルファベット。最初の文字はアルファ、では最後の文字は?」という問題に、テレビの前で「オメガ!」って答えて正解したのが、人生で最初の「会心の正解」でした(笑)
深田 すごいですね(笑)それって親の教育があったんですか?
日髙 確かに親もクイズ番組好きだった記憶はあるのですが・・・。僕は宮崎市出身で、よく言われますけど、宮崎市内って民放のチャンネルが2つしか映らないんですね。僕の小さい頃は視聴者参加のクイズ番組がたくさんあって、テレビをつけたら少ない民放の中でクイズ番組が流れていることが多かったんです。それで自然とクイズが好きになっていった感じですね。でも、クイズ番組に限らず、そもそも生粋のテレビっ子なんですよ。
深田 確かにアンケートを見て、テレビ好きの感じはビシビシ伝わってきました(笑)それで14歳の時に何があったんですか?
日髙 中2の時に「FNS1億2000万人のクイズ王決定戦!」という、逸見政孝さんが司会で、春・秋2回のフジテレビの特番があったんですよ。一般参加の番組だったんですけど、出場するのに年齢制限がなかったんです。その番組で、約1万5千人の中からペーパークイズを勝ち抜いて全国上位100人に残っている人がいて、その人が僕と同い年だったんですよ。それが深澤くんっていう子なんですけど。
深田 あ!(放送作家の)矢野さんがこのサイトのインタビューで「ほとんど勝てなかった」とおっしゃっていた方ですね!
日髙 そうですそうです!それで「僕も深澤くんみたいにテレビに出たい!」と思って(笑)クイズの勉強を始めたんです。「ウルトラクイズでニューヨークに行きたい」っていうのと「クイズ王決定戦でベスト100に残りたい」っていうモチベーションで、独学でクイズの勉強を始めたんですよ。
深田 なるほど。当然、高校生のときは「高校生クイズ」には出ました?
日髙 もちろん出ました!3年とも出場しましたし、高2のときは運よく全国大会にも行かせてもらいました。少し遡りますが、「アタック25」中学生大会の予選も受けに行って、静岡予選でペーパーテストをトップ通過したこともあるんですよ。
深田 お~、さすが。
日髙 それで「アタック25」のオーディションって、ペーパーテストを通過すると集団面接があるんですね。僕も中学2年生にしてはいろいろネタを持っていて、番組スタッフの方に「日高さんはモノマネが得意なんですね?」と振られて。なるほど、こっち方面か、と(笑)「はい!得意です。ものまね四天王では栗田貫一さんが好きです!」なんて言って、当時流行っていたチャゲアスの歌マネをしたんですよ。そしたら、スタッフにも同時に面接を受けている中学生にも、すごくウケたんです。「よかった、これは通ったな」と思っていたら、見事に面接で落ちて(笑)朝日放送からハガキが来て、「あなたは面接で不合格です」なんて書いてあって。結局、中学生大会には出られなかったんですよ。
深田 あら、なんでですか?
日髙 「なんでだろう? ウケたのになー」とか思いながら、実際に中学生大会のオンエアを見たら、灘中学とか、とにかく真面目そうなメガネの中学生4人が出ていて。「そっちか~!方向性を間違えた~」って(笑)「そっちならそっちのキャラもできるのに~」って(笑)僕はモノマネを振られたから、忠実に全力でやっただけなんですけど、まあ、僕みたいなキャラは、求められてなかったんでしょうね。
深田 (笑)ちなみに矢野さんとは学生時代に出会っているんですよね?
日髙 今も続いている「高校生オープン」っていうクイズ大会があるんですけど、高3の時に、その大会の会場で出会いました。僕はテレビに出ていた「深澤くんに会いたいな~」と思って(笑)勇気を出して浜松から単身・東京に出向いたんですけど、その深澤くんたちと仲良さそうにしている、なんだか体が丸い奴がいて、それが「矢野了平」だったんですね。決勝には5人が残れたんですが、その回は5人の中に深澤、矢野、僕の3人が残ったんですよ。
深田 お~、すごいメンバーですね。その時に優勝したのは誰なんですか?
日髙 その時はぶっちぎりで矢野了平でしたね。その大会、矢野が神がかっていたというか、絶好調だったんですよ。まあ初対面だったので、もともと強い奴だったのか、たまたま調子が良かったのかは知りませんでしたが、いま思い返すとね。その大会の『記録集』が残っていて、最近読み返したんですけど、決勝では1問を除いて全問、矢野か深澤か僕が解答権を得ていました。見事に空気を読んでいなかったです(笑)
深田 3人の実力が飛び抜けていたんですね。
日髙 どうなんでしょう?まあ3人とも決勝に行ってますから、ある程度はそうかもしれません。
深田 そこから2人とは仲良くなったんですか?
日髙 どうなんでしょう。おそらくその時はそこまで仲良くなった感じではなかったと思います。とにかく一人ぼっちでした(笑)矢野と深澤の2人は、当時から関東で一緒にクイズをやっていたので、その頃から仲が良かったと思いますけど。僕は浜松から一人で遠征した身でしたので、そんなに2人と話すという感じではなく。僕は浜松で一番強い高校生だと思っていたのに、東京に行ったら自分以上にクイズ強いヤツらがいて、なんだコイツらは? と。でも向こうにしてみたら、浜松から得体の知れないクイズ好きが来た、と気味が悪かったらしいです(笑)
深田 では、仲良くなられたのは大学時代ですか?
日髙 そうですね。
深田 ちなみに日髙さんは大学はどこに行かれたんですか?
日髙 一浪して、慶応に入りました。本当は東大を目指していたんですけどね(笑)運が悪くパニック障害という病気になっちゃって、センター試験の本試では試験会場に向かうことができず、追試では1日目の最後、数学の試験中にリタイアしました。だから東大はおろか、国立大が受けられなかったんです。受験勉強は大好きだったんですけどね。
深田 やっぱり勉強も出来たんですね~。
日髙 僕にとっては勉強もクイズも同じ感覚で、とにかく勉強が楽しかったんですよ。なんなら今でも東大に入りたいと思っていますし。今でもカフェに受験参考書や問題集を持ち込んで、勉強するのが楽しいんですよ(笑)今は数学にハマっていますね。
深田 やっぱり世の中には変な人がいますね~(笑)それってどういう感覚ですか?覚えることが好きなんですか?それとも「問題が解ける」ということが快感なんですか?
日髙 たぶん、「上達する」というプロセスが好きなんだと思います。
深田 そうですか~。矢野さんは東洋大学なのでお2人は違う大学に行かれたわけですけど、クイズ研究会の交流で仲良くなったってことですか?
日髙 そうですね。
深田 クイズ好きがたくさん集まるクイズ研究会の中でも、矢野さんとは特に気が合ったんですか?
日髙 当時、大学のクイズ研究会周りでは、問題文が長くて答えが難しい、「長文難問」といわれるクイズが流行っていたんですね。ただ、僕と矢野くんは「テレビクイズ」が好きだったんですよ。それで話が合ったのかもしれないですね。
深田 やっぱりクイズの中でもそういう趣味・嗜好があるんですね。それで「高校生クイズ」の問題を作る仕事を始めたのは、いつなんですか?
日髙 大学2年生の時ですね。当時は「高校生クイズ」の問題を大学のクイズ研究会が作るっていう慣わしみたいなものがあって、1年生の時にそれを聞いて、
クイズ研の代表である先輩に、「来年、僕にもやらせてください!」って直訴しました。その結果、2年生の時から実際にやらせてもらえることになったんです。
深田 クイズ好きな大学生としてはワクワクする仕事ですよね。
日髙 「好きなクイズを作って、お金まで頂けるの!?」って感じでした。それが1998年のことなんですけど、僕にとってはこの1年が激動の年で。2月に「アタック25」に出場して優勝もできて、3月に「高校生クイズ」の仕事を始めて、8月に「アメリカ横断ウルトラクイズ」が1回だけ復活しまして。矢野くんも僕も出場して、東京ドームで2人とも福留さんの「ニューヨークへ行きたいか―っ!」「オー!」のあの雄叫びに号泣するっていう一幕があったり(笑)
深田 そりゃ泣きますよね(笑)憧れの番組ですもんね。
日髙 あとは、6月ごろから、ウッチャンナンチャンさん司会の「炎のチャレンジャー」でクイズを作るお仕事もやらせていただいて。僕にとっては激動の1年でしたね。
深田 それはすごい1年ですね。
日髙 矢野くんがこのサイトのインタビューで、「アタック25」で深澤くんと対戦した話をしていましたけど、それも98年の11月なんですよね。
深田 へぇ~、すごい。
日髙 高校時代までに培ってきた、クイズに対するパワーや情熱を、一気に放出した一年、という印象がありますね。1998年は。
| 名前 | 日髙 大介 ひだか だいすけ |
| 出身地 | 宮崎県宮崎市生まれ 静岡県浜松市育ち |
| 生年月日 | 1977年10月28日 |
| 主な担当番組 | – 高校生クイズ – クイズ!ヘキサゴンⅡ – クイズプレゼンバラエティー Qさま!! – 超逆境クイズバトル!!99人の壁 |
Q:人生で1番好きだったテレビ番組は?
『アメリカ横断ウルトラクイズ』『ものまね王座決定戦』『M-1グランプリ』が「三大好きな番組」ですが、この中で一番を選ぶとしたら『ものまね王座』。
クイズ番組に限らず、100回以上ビデオで繰り返し観た番組が山ほど
あります。
Q:テレビ史上、最高の企画だと思うのは?
『第7回全国高等学校クイズ選手権(1987年)』の全国大会1回戦。
1チーム3人が上京直後にバラバラになり、「知力」「体力」「運」に分かれ、
再び3人が集結したら勝ち抜け。いま見ても涙が出そうになります。
チーム戦の醍醐味が一番詰まっている企画ですね。
深田 僕はこの放送作家名鑑の取材、ただただ楽しいんですけど、それはたぶん「人間」に対する興味がすごくあるんですよ。というのも、日髙さんみたいな変人に出会うと、なんか楽しくなっちゃうんですよね(笑)「なんでこんな人間が生まれるんだろう?」っていう、ここまでの人生の過程に興味がわくんですよ。
日髙 僕、自分ではそんなに変人だとは思ってないんですけどねぇ(笑)「ちょっと変かな」くらいの自覚はありますけど。
深田 日髙さんってクイズだけじゃなくてモノマネとかお笑いに対しても執着心がすごいじゃないですか?「ものまね王座」の結果をまとめて寸評などをサイトにアップしていたり。「好き」というレベルを超えている感じがします。
日髙 僕は「戦っている人を見る」ことが好きなのかもしれないですね。例えば、「M-1グランプリ」は、僕はドキュメンタリー番組だと思って観ているんですよ。審査員の点数が発表される瞬間の芸人さんの「顔」であるとか、滲み出る「人間味」みたいなものが大好きなんですね。「M-1」も、録画したものを各回100回はたぶん見ているので、覚えようと思っているわけじゃないのに自然と覚えてしまっていますね。笑い飯さんの「鳥人(とりじん)」のネタの、
審査員がつけた得点なんて、感動しましたよね。カウスさんから順番に「98、92、93、92、98、95、100!!」、これは皆さん覚えていますよね! ・・・あれ?(笑)審査員のコメントも全部覚えていますから。覚えようというよりは分析という意味で、審査員の方のコメントはノートに文字起こしもしていましたね。
深田 審査員のコメントを文字起こし!?やっぱり、思考回路がどこかおかしいんでしょうね(笑)
日髙 そうなんですかね(笑)「渡辺リーダーは、コンビのことを『グループ』って言う」とか、「島田洋七さんは「グーっと」「ガッと」「ドン」など擬音が多い」とか、「南原さんは、『最後にもうひとつ大きな笑いが』って言いがち」とか、いろんな特徴が見えてきたりするんですよ。
深田 そういう分析が楽しいっていうのは少しは分かりますけど。ちょっと異常ですよね(笑)
日髙 アンケートで「テレビ史上、最高の企画だと思うのは?」の答えに書いた高校生クイズの企画もそうなんですけど、「人間の喜怒哀楽の感情が爆発する瞬間が好き」というのもありますね。
深田 シンプルに言うと日髙さんは“人間”がめちゃくちゃ好きなんでしょうね。“書き記す”ということで言うと、当然、クイズ番組もノートに記録したりしていました?
日髙 「アタック25」は当たり前のように問題を文字に起こしていました。今日そのノートを持ってきているんですよ。おそらく、そのことは聞かれるかな? と思いまして(笑)(ノートを出す)
深田 (ノートを見て)うわ~、すごいですね…しかも全部手書きなんですね。
日髙 あと、クイズを作る仕事を始めて、あるディレクターの方に「日髙の問題は、目線がクイズ王なんだよね。耳で聞いて分かりにくい」って言われたことがあったんです。「もっと問題文を分かりやすく、柔らかくしろよ」って。それで「ハッ」として。当時やっていた、すべてのクイズ番組をビデオに取って、クイズ問題やナレーションを全部文字に起こしたこともあります。それで今のクイズ番組の「文体」だったり「難易度の感覚」だったり、といったことを体に染み込ませました。それは普通ですよね?あ、そのノートも持ってきてますよ(笑)(ノートを出す)
深田 (ノートを見て)すげぇ~。失礼ですけど、僕こういう変な人を見ると、なんか安心するんですよ(笑)いい意味で自分がちっぽけに感じるというか。小さなことでクヨクヨしている自分がバカらしくなるというか。これ写真に撮ってお守りにしていいですか?(笑)
日髙 どうぞどうぞ(笑)
| 名前 | 日髙 大介 ひだか だいすけ |
| 出身地 | 宮崎県宮崎市生まれ 静岡県浜松市育ち |
| 生年月日 | 1977年10月28日 |
| 主な担当番組 | – 高校生クイズ – クイズ!ヘキサゴンⅡ – クイズプレゼンバラエティー Qさま!! – 超逆境クイズバトル!!99人の壁 |
Q:今まで自分が通した中でベストな企画は?
クイズ作家なので「企画書を書いて通す」という経験はありませんが・・・
クイズでは『ヘキサゴンⅡ』の「ヒントクイズ」、
クイズ以外ではドラマ『戦力外捜査官』で鴻上尚史さんと一緒にプロットを
考えて実現したのが思い出深いです。
Q:仕事を始めてから1番衝撃を受けた放送作家は?
1番は分かりませんが、「最初に」という意味では北本かつらさん。
「この人か!」「こんな人なのか!」と思いました(笑)
Q:仕事を始めてから1番衝撃を受けたディレクターは?
『アメリカ横断ウルトラクイズ』の演出を手掛けられた加藤就一さん。
お仕事はご一緒したことが無いのですが、この仕事を始めて業界を知って、
改めて「ウルトラクイズ」の凄さを実感しました。
深田 過去のクイズ問題やクイズ企画への考察に関しては、どこかで「クイズ作家座談会」をやって、「あなたが思う最高の1問は?」とか「あなたが思う最高のクイズ番組は?」みたいな特集をやりたいんですよ。例えば日髙さん、矢野さん、水野さんの3人で座談会をやらせていただくとか。この辺はその時にお聞きしてもいいですか?
日髙 分かりました。楽しみです。
深田 ちなみに日髙さんが「ヘキサゴン」に入られたのは何歳の時ですか?
日髙 28歳(2006年)の時ですね。僕にとっては、まさしく「ヘキサゴン」が人生の転機でした。実はその年の3月まで、「塾講師」と「家庭教師」と「クイズ作家」の3足のわらじで仕事をしていたんですけど、「クイズ1本に絞ろう」と決意した年だったんです。ただ、クイズ1本に絞ったと同時に、仕事が一気に無くなってしまって…。お金も、残高が数十円レベルまで無くなってしまい、駐輪場で50円玉を拾って、「これで明後日までは食いつなげる!」といった状態。もう28歳なのに(笑)それで日払い・週払いの派遣バイトを24時間レベルで死ぬほどやっていたんですね。ある日、テレアポのバイトをしている最中、PHSに電話がかかってきて。当時、数少ない知り合いのディレクターさんから、「ヘキサゴンっていう番組があるんだけどやってみる?」って言われて。即答で「やります!」って答えて。
深田 それは嬉しい瞬間ですね。
日髙 その時に「生き延びた~!」って思ったのを鮮明に覚えていますね。その電話で「明日までに300問作って」って言われたんですけど、普段からヘキサゴンの問題も自分なりに分析していて、「僕だったらこういう問題を作るな」ってシミュレーションしていたので、バイトが終わって家に帰って深夜1時から取り掛かりましたけど、4~5時間くらいで300問作れたんです。で、それを提出したら翌日に電話がかかってきて「あと200問作れる?」って言われて。それも翌日に提出したら「悪くないね」ってなって、番組に入れてもらえることになったんですよ。2日で500問は大変でしたが、おそらく「日髙はできるのか」という通過儀礼だったんだと思っています。僕が入れていただいたタイミングが里田まいさんの初登場回だったのを覚えていますね。
深田 たぶん、僕はまだ学生だったか、業界に入りたての頃でしたけど、まさに「ヘキサゴン」が毎週、視聴率20%近く獲りはじめる頃ですよね。
日髙 大学生の頃から「高校生クイズ」で問題を作らせていただいたりはしていましたけど、クイズを作って、ただ問題用紙やFAXで提出するだけじゃなく、ちゃんと定例会議にも出て、クイズ会議にも出て、収録にも行って、なんというか、しっかりとテレビ作りに関わる、という意識を持ったのが「ヘキサゴン」なんですよね。だから僕の中でテレビの仕事のデビューは「ヘキサゴン」だと思っているんですよ。あの番組でテレビ作りやクイズ作りについて、色々なことを学ばせてもらいましたね。
深田 28歳がデビューだとすると、少し遅めですよね。
日髙 坂本龍馬が脱藩したのが28歳なんですよ。爆笑問題の太田さんが自伝『カラス』の中でおっしゃっていたんですけど、「28歳までは大丈夫だと思っていた」って。爆笑問題さんが「GAHAHAキング」っていう番組で10週勝ち抜いたのが28歳なんですけど、僕も28歳という年齢を意識していたところはあって。「1年間やってみて、ダメだったら塾講師に戻ろう」と思っていたので「ヘキサゴン」はまさしく僕の人生を救ってくれた仕事でしたね。
深田 ちなみに、衝撃を受けたと書かれている北本かつらさんに出会ったのも「ヘキサゴン」ですよね?
日髙 そうですね。「ヘキサゴン」の会議で初めてお会いして「ジャンプ放送局の『竜王は生きていた』(ペンネーム)はこの人なんだ!」って感動しましたね。くしゃくしゃの紙に手書きで書いた宿題をADさんに渡して、「コピーしといてください!」ておっしゃっていたのを覚えています(笑)
深田 噂に聞く、かつらさんが20本ぐらいレギュラーやって、超人的なスケジュールで働かれていた頃ですよね(笑)
| 名前 | 日髙 大介 ひだか だいすけ |
| 出身地 | 宮崎県宮崎市生まれ 静岡県浜松市育ち |
| 生年月日 | 1977年10月28日 |
| 主な担当番組 | – 高校生クイズ – クイズ!ヘキサゴンⅡ – クイズプレゼンバラエティー Qさま!! – 超逆境クイズバトル!!99人の壁 |
Q:ディレクターやプロデューサーにアピールしたいことは?
・クイズ王としての出演経験が多いことから、
アナウンススクールに通って滑舌などを勉強しました。
・塾講師をやっていたので、人前で分かりやすく喋ることは得意です。
・漢検1級を持っていますので、漢字関係のお仕事があればぜひ!
深田 日髙さんはテレビとかラジオとか、色々なメディアで出演もされていますけど、表に出るようになったきっかけは何なんですか?
日髙 いわゆる「クイズ王」としてのお仕事としては、テレビ朝日の「お願い!ランキング」の「ドラちく(ドライブうんちく)」からですね。2010年から。
深田 あ~、あそこからなんですか!?
日髙 ある時、番組スタッフの方から一本の電話がかかってきまして、「ドライブしながら、女子大生が出したお題にまつわる豆知識を、瞬時に言っていただくという内容なんですけど・・・クイズ王さんなら可能ですよね?」って(笑)。しかも「シミュレーションが明後日なんですけど…」って言われて。もう急いで雑学本や「トリビアの泉」の単行本などを暗記しまくって。いざシミュレーションをやってみたら、「まあいけそうだね」ってなったらしく。実はあの企画、3人のクイズ王がリレー方式でドライブする予定だったのですが、僕1人でいけることになり。そして実際にロケもなんとか上手くいって、オンエアされて。それがレギュラーとしてコーナー化されてっていう感じでしたね。
深田 あの企画、大変だったでしょ?
日髙 大変でしたけど、すごく楽しかったですね。ただ、最初の頃はめちゃくちゃ練習しました。1回目の収録前日は、実際に自転車で家の近所を回って、目についたものの豆知識を言っていくっていう練習をしました。「電柱の上の部分が細くなっている理由」とか、「車用の信号機が左から青・黄色・赤になっている理由」みたいな、ベタな豆知識からマニアックなやつまで、頭の中でシミュレーションして。
深田 その豆知識、ベタなんですか?(笑)
日髙 で、いざドキドキしながら本番に臨んだら、1個目のお題が「ヘリコプター」で。さんざん地上のモノで練習してきたのに、「1個目のお題、空かい!」って思いましたけど(笑)
深田 いちいち、エピソードに細かいオチとか要らないです(笑)「アナウンススクールに通った」っていうのは?
日髙 僕は宮崎生まれ浜松育ち、そして横浜や大阪に住んだりなど、親が転勤族だったので、ちょくちょく訛りが出ちゃうんですよ。ちょうどその時期、「お願い!ランキング」がきっかけで、「Qさま!!」にも加入させていただいたご縁もあったので、だったらと思って、テレビ朝日さんが主催しているアナウンススクールの3日間集中コースを受講したんです。
深田 日髙さん的には、そういうタレント的なお仕事は楽しいんですか?
日髙 楽しいですね。おそらく元々が出たがりな人間ですし、しゃべるのが好きですから。
深田 クイズを作るのと、演者として出るのは、どっちが楽しいですか?
日髙 どちらも仕事という意識では一緒なのですが、「非日常」という意味では、演者として出るのが楽しいです。とはいえ、どちらも「外せない」というプレッシャーは感じますが。自分で「向いている」と思うのは、おそらく演者のほうですね。
深田 あ~、そうなんですか。
日髙 僕は子供の頃から、とにかく臆病で怖がりなんですよ。クイズを作るときもそこが出ちゃうので、宿題などでクイズ案をメールなどで提出すると、見えない相手の反応が気になって仕方ないです。分科会などで、ちゃんと顔を突き合わせてブレストするほうが気が楽ですし、経験上、いいアイデアも浮かびますね。演者でテレビやラジオに出る際も、もちろん緊張はするんですけど、共演者やスタッフの皆さんも同じ現場にいるので、反応がすぐに返ってくるから、楽しいと思えるんですよね。
深田 そうなんですか!?僕は日髙さんは好きなことにとことん没頭して、自分の世界に入る人なんだろうなって思っていたので、人目を気にする人とは思わなかったですね。失礼ながら(笑)
日髙 いやいやいや。逆ですね。僕は「人からどう見られているか?」をめちゃくちゃ気にしちゃう人間なんですよ。おそらく承認欲求も強いほうだと思いますし。まあ、人間として当たり前の感情かもしれないですけど(笑)
深田 そういう当たり前の感情が無い人かと思ってました(笑)「人からどう見られるかなんてどうでもいい」みたいな感じなのかなと。
日髙 いや~、なかなか、そこまで行ききれないんですよね。毎日、けっこう悩みながら生きてます(笑)会議の帰り道に「今日の会議、あの発言大丈夫だったかな?」とか、「クイズ会議であの人の機嫌が悪かったの、俺のせいかな?」とか、一人で勝手に思いますし。
深田 へぇ~、じゃあ僕と同じタイプの人間ですね(笑)
日髙 だから、この取材も、深田さんに「あの人、いまいちだったな」って思われたくないので(笑)けっこうアンケートも真面目に考えましたし、ノートも持ってきましたし。ここに来るときもけっこう緊張しましたよ(笑)「期待外れだったな」とか「普通だったな」とか思われたらどうしよう、と思って。あと「喋りすぎ」にも気をつけなければ、とか。これがなかなか僕の悪いクセで、思っていても自制がきかないんです(笑)
深田 意外(笑)あとこれ聞いてみたかったんですけど、日髙さんにとってクイズの世界で憧れの人って誰なんですか?
日髙 うーん、誰だろう。ただ、僕らの世代にとっての「スター」といえば、長戸勇人さん、能勢一幸さんといったクイズ王の方々ですね。「ウルトラクイズ」のそれぞれ第13回、15回のチャンピオン。当時、ファンレターが1万通とか届いていたらしいんですけど、とにかく、クイズの楽しさを後輩である僕たちに教えてくださった、という意味でとても感謝していますね。「憧れ」というニュアンスになると、もういまいち、よく分からないです(笑)僕自身がそうならなければいけないとも思いますし、若い方々にとっては、伊沢くんみたいに「QuizKnock(クイズノック)」というYouTuberの皆さんがその代表的存在でしょうし。
深田 日髙さんは第何世代なんですか?
日髙 長戸さんによりますと、僕らは「クイズ第6世代」といわれてますね。
深田 伊沢さんは世代的には?
日髙 はっきり定義されているわけではないので正確には分からないですけど、第8世代くらいでしょうね。いわゆる高校生クイズの「知の甲子園」時代のクイズプレーヤー。
深田 伊沢さんとは面識はあるんですか?
日髙 ありますよ。テレビの共演もありますし、僕の家で一緒にクイズしたこともあります。勝手にお友達感覚を抱いていますね(笑)伊沢くんのYouTubeにも出演させていただいたこともあります。
深田 伊沢さんのことはどういった風に見られていますか?
日髙 伊沢くんはYouTubeで「QuizKnock(クイズノック)」を立ち上げて、今や代表取締役として活躍していますから、純粋にすごいと思いますね。あの動画って、ただ「クイズ」をやっているように見る人もいますが、けっこう独自の発想で、新しいジャンルを開拓していると思います。めちゃくちゃやっているように見えて、ちゃんと「学び」にもつながっている。プロとして見れば、しっかりと時代の波に乗ったなあ、と思います。時代とシンクロするというのが、クイズでは一番難しいんですよ。それを自然体でやってのけている彼らは、先輩とか後輩とか関係なく、リスペクトの対象でもありますね。
| 名前 | 日髙 大介 ひだか だいすけ |
| 出身地 | 宮崎県宮崎市生まれ 静岡県浜松市育ち |
| 生年月日 | 1977年10月28日 |
| 主な担当番組 | – 高校生クイズ – クイズ!ヘキサゴンⅡ – クイズプレゼンバラエティー Qさま!! – 超逆境クイズバトル!!99人の壁 |
Q:今後、関わってみたい番組は?
クイズ番組では『パネルクイズ・アタック25』。
「とんねるず×ダウンタウン」の番組が実現すれば、何らかの形でぜひ!
Q:今後の放送作家としての展望や人生の目標は?
19歳の大学受験のときから、いろんなメンタル系の病気を経験しています。
いま苦しんでいる人たちを勇気づけられる番組みたいなものができれば。
そのためにも、人生の目標としては「健康を目指すこと」ですね。
Q:まだ出来ていないけどいつか仕事をしてみたい芸能人は?
石橋貴明さん。
「クイズ」に対する熱さを持っていらっしゃる方。
僕のクイズ観にも、とても影響を与えてくださった方です。
Q:放送作家になってから1番嬉しかったことは?
『ガキの使い』の企画で、ダウンタウンさんと一緒にドライブしたこと。
『ガキの使い』の「笑ってはいけない」で正誤判定を務め、ひょんなことから
松本人志さんと掛け合いが出来たこと。
同率1位です。
深田 日髙さんの夢としては「こういうクイズ番組を作りたい」というよりは、憧れのとんねるずさん、ダウンタウンさんと仕事がしたいという、テレビっ子としての思いの方が強いんですかね?
日髙 そうですね。ありがたいことにダウンタウンさんとは「ガキの使い」の企画で関わらせていただきましたし、「笑ってはいけない」でもクイズの正誤判定をやらせていただきましたし、「水曜日のダウンタウン」の「ダウンタウンクイズ」でも問題作成で関わらせていただいたんですよ。とんねるずさんとは、まだお仕事をご一緒したことがないので、もし何かの機会で実現すれば幸せです。もっといえば、おそらく全芸人さんが注目するであろう、ダウンタウンさんととんねるずさんが共演する番組に関わるのが人生の夢ですね。最終目標といっても良いかもしれない(笑)
深田 可能性はゼロではないですもんね。
日髙 これ鮮明に覚えているんですけど、僕が高校2年生の時に、「FNS番組対抗!なるほど!ザ秋の祭典スペシャル」ってあったじゃないですか。とんねるずさんとダウンタウンさんが絡んだという伝説のクイズ特番。あの日の朝、新聞のラテ欄を見たら、「とんねるずVSダウンタウン全面戦争!」って書いてあったんです。僕もう、それを見てワクワクしすぎて、その日学校休みましたからね(笑)
深田 意味わかんないですわ(笑)放送は夜なのに(笑)
日髙 いや、19時までにそれぞれの番組、『ごっつええ感じ』と『みなさんのおかげです』を、1回ビデオで全部見直してから、夜に備えたいなと思いまして(笑)
深田 やっぱりおかしいですね(笑)
日髙 実は石橋さんと浜田さんってクイズの才能がすごいある方なんですよね。僕はリアルタイムで見ていたので覚えているんですけど、日本テレビの「クイズ世界はSHOW byショーバイ!!」の番組対抗で、まだ当時東京ではそれほど名前の売れていないダウンタウンさんが、「ガキの使い」チームとしてよく出場されていて、それで必ずといっていいほど決勝まで勝ち進むんですよ。笑いの量ももちろん一番ですし、ちゃんとクイズにも正解もされるし。特に浜田さんがよく正解されていたんですけど、後に「ウチの松本のボケを引き立たせるためには、ちゃんとやらないかん」って述懐されていて。
深田 へぇ~。
日髙 石橋さんもクイズに対してすごく熱い情熱を持っているのが伝わってきまして。91年の「クイズ・ドレミファドン!」の復活特番でも、成績としては3位でも、番組的にはとんねるずが全部持っていく。そのタレントの「華」みたいなのが凄すぎて、影響を受けましたね。
深田 細かすぎです(笑)
日髙 もう開き直ってます(笑)うーん、だからたとえば、いつか石橋さんの「たいむとんねる」で「昭和のクイズ番組を振り返る」みたいな企画をやる際には、密かに、呼んでいただけないかなと勝手に思っているんですよね。と言っている間に、クイズアプリの回が放送されてしまったのですが(笑)でも、何らかの形で、ぜひ。
深田 それ実現するの楽しみです。
| 名前 | 日髙 大介 ひだか だいすけ |
| 出身地 | 宮崎県宮崎市生まれ 静岡県浜松市育ち |
| 生年月日 | 1977年10月28日 |
| 主な担当番組 | – 高校生クイズ – クイズ!ヘキサゴンⅡ – クイズプレゼンバラエティー Qさま!! – 超逆境クイズバトル!!99人の壁 |
【取材後記】
結論としては、僕は日髙さんが好きだ。
僕は1つのことにのめり込み、
「これでもか!」という程にエネルギーを注ぎ込める人への憧れが強い。
それが仕事であれ、恋愛であれ、お笑いであれ、アイドルであれ、クイズであれ、
寝食も忘れる程に1つのことに没頭する人を僕は尊敬するし、好きになる。
この日、初めてお会いした日髙さんはまさに“尊敬”と“好き”の対象だった。
記事で十分伝わっているかと思うが、
クイズ・モノマネ・お笑いへののめり込み具合は正気の沙汰ではなかった。
ご本人には「取材後記で少し失礼なこと書いてしまうかもしれません」と、
前振りを入れさせていただいたところ、
「なんでも書いてください!」との返信が来たのでお言葉に甘えさせてもらう。
日髙さんは…とんでもなくおしゃべりな人だった。
1つのエピソードを話すのにも「ある日、1本の電話がかかってきましてね…」
から始まり、しっかりと情景が浮かぶ程にディテールを事細かに話す。
名言っぽいワードを頻繁に使う。
そして、いちいちオチをつけたがる。
まあ、悪く言えば“ややうざい人”だったのだ(笑)
しかし、フォローするわけではなく、
その“うざさ”がなんとも心地よく、気持ちが良かったのだ。
その証拠に、初対面にも関わらずこの取材は3時間を超えた。
取材場所がファミレスだったということもあって、
帰り道はまるで学生時代の友達とおしゃべりした後のような、
心躍る感覚だった。
それくらい、日髙さんからは人間としての圧倒的な魅力を感じた。
いや、もう魅力の塊だった。
「好きなことがある人間」の魅力というものを改めて思い知った。
記事にはあえて載せなかった奇天烈な人生遍歴もとても面白かった。
おそらく、日髙さんがメディアに出られる時は、
「クイズ王」としての顔をフューチャーされることが多いと思うが、
今後は是非ともその奥にある日髙さんの人間味にもスポットを当てて欲しい。
掘れば掘るほど面白いものが出てくるに違いないから。
…あ、どの立場から言ってんだって感じですね。
でも、なんでこんなことを書くかというと、
結論として、僕は日髙さんが好きだからです。

