名前 | 高橋邦彦 たかはし くにひこ |
出身地 | 神奈川県 |
生年月日 | 1978年5月23日 |
主な担当番組 | – ダウンタウンのガキの使い!!笑ってはいけない – 新しい波24 – AI-TV など |
アンケートへの回答をもとにインタビュー取材
Q:放送作家になったきっかけは?
売れない芸人を18年やってたんですが、家族を持つことになりまして…
家族を養うために稼がなければいけない。
でも、どうしてもこの世界の人たちが好きで好きで仕方ない。
そして悩んだ結果、一か八かで遅咲き放送作家デビューをさせて頂きました。
深田 そもそも芸人を目指したきっかけは何ですか?
高橋 芸人時代の相方は元々高校の友達で同じ柔道部に入ってたんですよ。
深田 アホマイルドの相方さんは高校時代の友達なんですね?
高橋 そうです。高校の時に柔道部の先輩から「なんかやれよ」って言われて、2人でネタみたいなことやったらウケて。勘違いしちゃって芸人目指した、みたいな感じですね。
深田 どんな芸人に憧れてたんですか?
高橋 ダチョウ倶楽部さんとか、江頭さん、とか出川さんとか「お笑いウルトラクイズ」に出てた方々ですね。
深田 体張り系の人たちですね。ダウンタウンさんとかではなく?
高橋 もちろん、ダウンタウンさん、とんねるずさん、ウッチャンナンチャンさんは好きでしたけど、自分たちが目指すべきはそういう人たちじゃないっていうのは自覚してましたから(笑)
深田 それで芸人を目指して吉本の養成所NSCに入ったわけですね?いわゆる「華の4期」ですよね?
高橋 そうです。ロバート、森三中、インパルス、椿鬼奴とかが同期です。
深田 凄いメンバーの期に入りましたね。当時、周りを見渡してどうでした?
高橋 みんな面白かったですけど、最初からロバートの秋山君は別格でしたね。とにかく面白かった。
深田 同期は何人くらいいたんですか?
高橋 確か400人くらいですかね。
深田 400人!?のちに売れた人たちはやっぱり最初から光ってました?
高橋 そうですね。けど、NSCの時に面白かった人が必ずしもみんなその後に売れたってわけでもないですけど。
深田 そんな同期たちとしのぎを削って18年芸人をやったっていうのは凄いことですよね。で、結婚を機に芸人を辞めたってことは芸人1本では食えてなかったってことですか?
高橋 食えた時期もあったんですけど、結婚した時は食えてなかったです。だからもう辞めるしか無い。でもこの世界好きだし。って悩んで恐れ多いとは思いながらも放送作家になれないかなと。
名前 | 高橋邦彦 たかはし くにひこ |
出身地 | 神奈川県 |
生年月日 | 1978年5月23日 |
主な担当番組 | – ダウンタウンのガキの使い!!笑ってはいけない – 新しい波24 – AI-TV など |
Q:人生で1番好きだったテレビ番組は?
お笑いウルトラクイズです。
幼い頃、後にも先にもあれ以上腹を抱えて笑うことはないだろうってぐらい笑いました。
中年の肉体であんな笑い方したら死んでしまうと思います。
あれに出たくて芸人を始めたので。
深田 「お笑いウルトラクイズ」はクニさんがどれくらいの時にやってたんでしたっけ?
高橋 ぼくが小学生の頃からやってました。
深田 クニさんが芸人になった頃もやってたんでしたっけ?
高橋 終わってたんですけど1回復活してるんですよ。その時に森三中が出てて、それはマジで羨ましかったですね。
深田 クニさんは夢叶わず?
高橋 そうですね、叶わなかったですね~。正直、同期は売れた芸人多かったんであまり嫉妬とか感じたことなかったんですけど、この「お笑いウルトラクイズ」に森三中が出たときは「いいな~!!」ってなりました(笑)
深田 でしょうね(笑)ちなみに今、地上波でやってる番組で好きなのは?
高橋 それは「お笑い向上委員会」ですかね。というのも、ああいう番組って芸人時代は「自分が出たらどうすればいいか?」とか勝手にシミュレーションしちゃって楽しく見れないんですよ。
深田 あ~、それ芸人さんは確かに言いますね。
高橋 それが放送作家になってからはああいう番組を純粋に楽しめるようになったんですよね。だから今は「お笑い向上委員会」とか楽しくてしょうがないですね(笑)
深田 元芸人ならではの感覚ですね。他にそういう番組あります?
高橋 「さんま御殿」とか賞レースですかね。「M-1」とか「キングオブコント」とか。芸人辞めてからは嫉妬心とかもないんで賞レース見るのも楽しくてしょうがないです。出ている芸人には素直に尊敬心を持って見てますね。
深田 ちなみに芸人から放送作家になってみて気づいたことってあります?
高橋 芸人時代はたくさんアンケートを振られて面倒くさいなって思ったりしたこともあるんですけど、ちゃんとアンケート書いておくべきだったなーとか。
「新しい波24」でアンケートの内容で芸人ごとに凄い差が出てて、テレビ出るためにはアンケートをちゃんと書く、って本当に大事なんだって思いました。
深田 はいはい
高橋 あと後輩の芸人に言っているのは「面白いことをやってれば誰か見てくれる」って思ってるかもしれないけど「ちゃんとそれを知ってもらうための努力も必要だよ」と。
深田 ビジネスでいうマーケティングですよね。
高橋 はい。「テレビで売れるには色んなルートがあるから色んなルートを探った方がいいよ」って。
名前 | 高橋邦彦 たかはし くにひこ |
出身地 | 神奈川県 |
生年月日 | 1978年5月23日 |
主な担当番組 | – ダウンタウンのガキの使い!!笑ってはいけない – 新しい波24 – AI-TV など |
Q:今まで自分が通した中でベストな企画は?
「ガキの使い 笑ってはいけない」の体張りブロックでやった「真っ二つお椀喰い」です。
割れたお椀に熱々の豚汁を入れて飲むというものです。
映った時間は僅かでしたが、僕的には最高の瞬間でした。
深田 これ去年の「笑ってはいけない」でやったやつですよね?「お笑いウルトラクイズ」に通じる体張りものですね。僕も関わらせてもらってますけど、あのネタ考えるの大変でしょ?
高橋 そうですね。でも「笑ってはいけない」をやらせてもらって嬉しかったのは、スタッフのみなさんが“圧倒的に量を考えている”ということですね。
深田 どういうことですか?
高橋 外から見てたら「あんな面白いの、どんな天才が考えてるんだろう?」と思ってたんですけど、中に入ってみたら「色んな人たちが死ぬほど考えてネタ出して作ってたんだ!」って分かって安心しました(笑)
深田 「笑ってはいけない」のネタはスタッフが考えてますけど「ガキの使い」のレギュラーで歴代の面白かった体張り系のネタを「あれ誰が考えたんですか?」「じゃああれは?」ってディレクターの先輩に確認したら、ほとんど松本さん考案だったんですよ。
松本さんはほんまもんの天才ですよ(笑)
高橋 そういう天才は一部の人だけでいいですよ(笑)「笑ってはいけない」はみんなが血のにじむ努力の末作られてたって知れたことがぼくにとっての収穫です。
深田 あれ考えてる時期は「笑ってはいけない」の作家はちょっと頭おかしくなりますからね(笑)ぼくは自分の心がコントロール出来なかった5~6年前は毎日ずーーーっとネタ考えすぎて1回気絶しそうになったことありましたから(笑)
高橋 でも本当にありがたい仕事に関わらせてもらいました。
深田 あのブロックに出る芸人さんたちも「これが俺たちにとっての紅白だ!」って気合がすごいですもんね。あの体張りの収録終わった後、他のネタの収録は続いているのに、体張りに出てた演者さんだけで謎の乾杯やってますもんね(笑)
高橋 あれ青春って感じしますよね。
名前 | 高橋邦彦 たかはし くにひこ |
出身地 | 神奈川県 |
生年月日 | 1978年5月23日 |
主な担当番組 | – ダウンタウンのガキの使い!!笑ってはいけない – 新しい波24 – AI-TV など |
Q:ディレクターやプロデューサーにアピールしたいことは?
・中華料理の元コックなので料理には詳しいです。
・高校時代、練習試合ですが柔道金メダリストの内柴正人に勝ったことがあります。
・年に数回ですがキュートンというユニットでお笑い芸人もやってます。
深田 高校卒業してすぐ芸人になったんじゃなくて1度就職してるんですよね?
高橋 そうです。高級中華料理店のコックをやってて、そのあと芸人として売れない時期が異常に長かったので主婦並の自炊能力はあると思います(笑)
深田 それは凄いですね。確かに料理番組とかで力になれる部分はありそうですね。あとこれ凄いですね。金メダリストの「内柴に勝った」って。同い年なんですか?
高橋 そうです。ただ勝ったのも練習試合っていうのもあるし、相手が体調悪かったのかもしれないですけどね。
深田 当時から内柴は強かったんでしょ?
高橋 もちろん。ぼくは試合した後に凄い選手だってことを知ったんですけど。
深田 あと、あらびき団でよく見るキュートン。今もあれやるときだけは芸人やってますよね?
高橋 そうですね。あらびき団と、たまにイベントでやってます。
深田 あれは仲良しの芸人さんが集まってやってるんですか?
高橋 そうですね。東京NSCの4期と2期のメンバーですね。
深田 あとアピールと言えばこの2つしておいた方がいいですよね。1つ目は芸人時代に獲った賞。
高橋 あー、はいはい。今宮子供えびす福笑い大賞ですね。
深田 このコンクールの第1回の大賞がダウンタウンさんなんですよね。
高橋 そうです。
深田 あとは小説の賞も獲ってますよね?
高橋 MONO-KAKI大賞っていうのをいただいています。
深田 賞金100万もらったんでしょ?2000通くらいの中から選ばれて。
高橋 そうです。
深田 凄いですよね。それ自分で全然言わないですよね?(笑)言いふらした方がいいと思いますよ。その小説、出版化されたりしてないんですか?
高橋 スピリッツでは短編ですけど漫画家はされました。
深田 あー凄いですね!
名前 | 高橋邦彦 たかはし くにひこ |
出身地 | 神奈川県 |
生年月日 | 1978年5月23日 |
主な担当番組 | – ダウンタウンのガキの使い!!笑ってはいけない – 新しい波24 – AI-TV など |
Q:仕事を始めてから1番衝撃を受けた放送作家は?
鈴木おさむさんです。
芸人時代にお会いしたんですが…とにかくパワフルだと感じました。
人間として積んでるエンジンの排気量が全く違うなと思いました。
Q:自分がディレクターだったら放送作家は誰を呼ぶ?
深田憲作さんです。
理由は年下なんですが、おじさん新人作家にいろいろと教えてくれるからです。
僕みたいな人間は気を使われたら仕事こないんで!
そういう人はとてもありがたいんです!
Q:仕事を始めてから1番衝撃を受けたディレクターは?
木村亮さんです。
始めてすごく仲良くなったディレクターさんなので
深田 おさむさんとは芸人時代にお仕事してるんですか?
高橋 「劇団おさむショー」っていうイベントがあって、出演者として出させてもらったんです。芸人みんな稽古でクタクタになってたんですけど、おさむさんはそこから徹夜で分厚い台本を0から書き直してたんですよ。その時に「あ~、この人は積んでるエンジンが違うんだ」と思って驚愕しましたね。
深田 バイタリティーの部分ですね。
高橋 能力の部分はみんな知ってますもんね?ぼくはとにかくそのパワーにびっくりしましたね。
深田 そして、放送作家で誰を呼ぶか?で、ぼくっていうのは手前味噌感というのかなんというのか(笑)まあ実際にクニさんに番組呼んでもらってますからね。
高橋 でも37歳くらいで作家になって、やっぱり年下のみなさんから気を使われているのが分かるんですよ。そんな中、色々教えてもらえるのは本当にありがたいんで。
深田 アホマイルドだったっていうのは割とみんな知ってますし、ロバート、森三中の同期って言われたらそりゃあ気を使いますわ(笑)業界歴でいうと20年越えでしょ?
高橋 そうですね(笑)
深田 ぼくが言い訳として言いたいのは、クニさんのためにも後輩として扱った方がいいな、と思っての後輩扱いですよ(笑)ぼくがイヤな奴というわけではなく(笑)あとは後輩というか、同期と思ってるって感覚ですけど。
高橋 いや、それがありがたいですよ。
深田 やっぱり37歳で放送作家始めて、年下から気を使われてたら仕事ももらえないですもんね。絶賛「雑に扱ってくださいキャンペーン中」ですよね?
高橋 本当にそうです。
深田 このサイトはそういうアピールのためにもありますから。クニさんは今、放送作家歴4年目なんで40歳ということは無視して、4年目として扱って欲しいんですよね?
高橋 そうです!本当になんでもやりますから。リサーチでも雑用でも。20代の作家の方もマジでぼくを後輩として扱って欲しいです。そして、芸人と仕事をするときは力になれることもあると思うので何かあればお申し付けください!
深田 クニさんの「なんでもやります」は本当になんでもやりますからね。それもこれも家族のためですよね?
高橋 そうですそうです。
深田 ディレクターの木村さんって方はどこで知り合った方ですか?
高橋 これはあらびき団でキュートンを担当してくれた方なんですよ。
深田 ネタも一緒に考えてくれたんですか?
高橋 そうですね。キュートンのメンバーと言っても過言ではないくらい一緒にあーだこーだ考えてくれて。「ディレクターさんとこんなに仲良くなれるんだ」っていうくらい仲良くしてもらってますね。
深田 キュートンのネタって基本的には誰が考えてるんですか?
高橋 ネタによってバラバラですけど、ぼくが考えていた時期もありますよ。
深田 アホマイルドでもクニさんがネタを考えていたんですか?
高橋 アホマイルドは相方と半々でしたけどね。
深田 なるほど。あと聞いてみたかったのは、芸人時代に衝撃を受けた芸人さんはいます?
高橋 そうですね、やっぱりロバートの秋山君。あとはバッファロー吾郎さん。あとモンスターエンジンはすごい面白いなーって思いましたね。
深田 はいはい。
高橋 あとは変な自慢があるんですけど、ピースの綾部を初めてメシに連れていった先輩芸人は僕なんですよ。
深田 へぇ~、どこで出会ったんですか?
高橋 NSCを卒業した後、1期下のNSCの授業のお手伝いでスタッフをやった時に綾部を見て「こいつ面白いな~」と思ってメシに連れていったんですよ。これ自慢なんです(笑)
深田 それ将来、もっと大きい自慢話になるかもですね(笑)
名前 | 高橋邦彦 たかはし くにひこ |
出身地 | 神奈川県 |
生年月日 | 1978年5月23日 |
主な担当番組 | – ダウンタウンのガキの使い!!笑ってはいけない – 新しい波24 – AI-TV など |
Q:今後、関わってみたい番組は?
売れないベテラン芸人が活躍できるような番組をやってみたいです。
Q:まだ出来ていないけどいつか仕事をしてみたい芸能人は?
ダチョウ倶楽部さんとお仕事をしてみたいです!
Q:今後の放送作家としての展望や人生の目標は?
バッファロー吾郎さんの番組をやってみたいです!
あとレギュラー番組を増やしたいです!
Q:放送作家になってから1番嬉しかったことは?
同期なのですが、芸人時代は一度もTVで一緒に仕事できなかったロバートの秋山くんと一緒に仕事できたことです。
深田 当たり前といえば当たり前ですけどやっぱりクニさんは芸人が大好きですよね。
高橋 そうですね。ぼくと同時期にやっていた面白い人たちになんとか日の目を浴びてもらいたいというのもありますし一緒に仕事がしたいですね。
深田 この秋山さんと仕事したときって「新しい波24」ですよね?
高橋 そうです。「やっと会えた!」って嬉しかったんですよ。
深田 ぼくら周りの人間からしたら2人は同期だから収録の時も「おぉ、久しぶり」みたいな挨拶すると思ってたら秋山さんが来た途端、クニさんが「おはようございます!」って。「後輩じゃん!」ってみんな笑ってましたけどね(笑)
高橋 (笑)こっちは裏方であちらは出演者ですからね。
深田 森三中の黒沢さんとか鬼奴さんは今でも食事に行ったりする仲なんですよね?
高橋 そうです。黒沢さんには「あんた、人との繋がりは大事にしなよ」とか色々ありがたいことを言ってもらったりしますね(笑)
深田 だからそれ後輩じゃないですか(笑)
高橋 黒沢さんは本当にテレビが好きで「私、会議に参加したいんだけどどうにかなんない?」って言ったりするんですよ。
深田 それどういう気持ちなんですかね?
高橋 ミーハー心じゃないですかね。「どんな会議して番組って作ってんだろう?」っていう。
深田 これ見て誰か呼んであげたらいいのに(笑)会議中、気になってしょうがないですけど(笑)
高橋 そうですよね(笑)
深田 「テレビ」と「芸人」がとにかく好きな人なんですね?
高橋 あと「ゴシップ」ですね(笑)
深田 (笑)あとはバッファロー吾郎さんからも可愛がってもらってたんですよね?
高橋 そうですね。芸人時代によくイベントに呼んで頂いてやっぱり僕にとってバッファロー吾郎さんは憧れですし大恩人ですから、今後もどこかで一緒にお仕事したいです。
深田 芸人時代にクニさんが仲良くしてた方とは別で、いつか一緒に仕事をしたいのはダチョウ倶楽部さん。
高橋 そうですね、やっぱり憧れの人たちですから。
深田 これ言うと失礼になっちゃうんですけど、ダチョウさんってもっともっと評価されていいですよね?マジでトーマス・エジソン並みの発明家だと思うんですけどね(笑)「どうぞどうぞ」とか「喧嘩からのキス」とか一般の方もみんな真似するし、一般の方がやっても笑ってしまうし。
高橋 ほんとにそう思います。ダウンタウンさんに憧れた多くの芸人がナナメ目線で斬る、みたいな芸風を目指した時期があったと思うんですけど、ダチョウさんはあのスタイルでずっとやってきたって本当にかっこいいと思います。
深田 出川さんがイッテQで国民的人気者になったんで、いつかダチョウさんももっと国民全体から評価されて欲しいんですよね。マジで偉人ですから。エジソン並みの。「お笑い日本史」の教科書が出来たら「発明家」として紹介してもいいと思うんですけど。
高橋 そうですね(笑)
深田 ダチョウ倶楽部さんとのお仕事はまだないと思いますけど、上島竜兵さん個人では今、BSーTBSの「おじさんくた美れ旅」って番組で旅人として出てて、一応お仕事は出来ていますよね?
高橋 はい、だから嬉しくて仕方ないです(笑)
深田 いつもの上島さんの仕事とは全く違う内容ですけどね(笑)
高橋 それでも最高に嬉しいです。
【取材後記】
年齢はぼくよりも5歳上で結婚もして子供もいる。
放送作家としては後輩でも人生の大先輩であるクニさん。
しかし、もし同い年だったとしても、ぼくは人間としては確実にクニさんには負けていた自信がある。
多くの放送作家が若い頃は「なんでもやります」と言う。
でも、本当になんでもはやらない。
最初はやっていたとしても仕事が増えたり、年齢を重ねたらやらなくなる。
そりゃあそうだ。
けど、このおじさんは本当になんでもやる。
もう40歳なのに、仕事が増えてもまだなんでもやる。
ADみたいな仕事も任されたら一生懸命やっている。
なんならADよりも率先して資料を配ったり、お茶をいれたりする。
一回り以上も年が離れた20代のディレクターや作家に全力で挨拶をしている。
“なんでもやらない側”のぼくはいつも言う。
「その年になってよくそんな若手みたいな仕事を頑張れますね?」
答えは知っている。何十回も聞いてるから。
「家族のためです」だ。
家族という存在がここまで人間を頑張らせてしまうということが、まだぼくには体感として理解できない。
けど、このおじさんを見る限り、どうやらそれはエネルギー源としてはとてつもないものらしい。
そして、その愛情は家族だけでなく、仲間内に対しても果てしなく大きく、強い。
それは、とある芸人の単独ライブに行った帰り道のこと。
ぼくは初めてクニさんが怒っているところを見た。
「ライブ、めちゃくちゃ面白かったですわー。
ただ、前の席に座ってた人が途中で何回か首かしげてたんですよね。
面白くないと思うのは自由だけど、ここで態度に出すなよってめちゃくちゃ腹立ちましたわ」
あぁ、この人は自分がどれだけぞんざいに扱われても怒らないのに、仲間のためにはこんなに怒るんだ、と妙に感心してしまった。
こんな人が味方でいてくれたら心強いなと思う。
少なくとも、ぼくが家族というものを持つその日までは、人間としてこの人の足元にすら及ばないことは分かった。
だから、なんとかこの人の生き方を近くで見て学ぶために、放送作家として仕事が無くならないように頑張ろうかなと思っている。
なんでもはやらないけど。