名前 | 樅野 太紀 もみの たいき |
出身地 | 岡山県倉敷市 |
生年月日 | 1974年10月13日 |
主な担当番組 | – しくじり先生 – NHK紅白歌合戦 – MUSIC STATION – あいつ今何してる? など |
アンケートへの回答をもとにインタビュー取材
Q:放送作家になったきっかけは?
元々吉本でチャイルドマシーンというコンビで活動していたのですが30歳の時に解散が決まって「これからどうしようかな?」と思ってる時に芸人仲間の中で「樅野、作家になるらしいよ」という噂が流れているのを聞いて「挑戦してみよう」と思ったのがきかっけです。
深田 そもそも芸人を目指したきっかけからお聞きしていいですか?
樅野 18歳で岡山の高校を卒業して大阪のとある大学に入ったのよ。
深田 あ、そうなんですね。高校卒業してすぐにNSCに入ったものだと勝手に思ってました。
樅野 で、大学に通い始めた初日に「いい目をしてるね」っていう理由で空手部に監禁された(笑)そんなこともあって大学行くの嫌になっちゃって行かなくなったの。
深田 初日でえらい目に遭いましたね(笑)
樅野 それで大学も行かずに何もしてなかった時にテレビで初めて大阪の劇場で活躍してる若手芸人を見たのよ。千原兄弟さんとかジャリズムさんとかメッセンジャーさんとか。
深田 そうそうたるメンバーが若手芸人の時代ですね。
樅野 そう、おれ元々テレビもそんな見てなかったし、お笑いも詳しくなかったけど、それを見て「楽しそう。ここに入るにはどうすればいいんだろ?」って思ったの。
深田 そこで芸人になりたいって思ったってことですか?
樅野 いや、実は最初は芸人になりたいとかもなくてただ、リハビリのつもりでNSCに入ったのよ。
深田 それでNSCに入って本格的に芸人になりたいと思ったタイミングは?
樅野 これ自慢話になっちゃうんだけど(笑)おれNSC15期だったんだけど入学して2〜3か月くらいの時に半年先輩の14期と15期で合同イベントがあったの。そこでのちの相方と即席で組んだコンビでネタやったら15期の中ではトップの成績だったの。
深田 ほぉ。
樅野 そこから周りの見る目が変わって15期の中ではエリートみたいな感じになって人生で初めてチヤホヤされたの。そこから芸人として本気でやってみようって思い始めたかな。
深田 芸人としての滑り出しはよかったんですね?
樅野 NSC在学中からテレビとか出られたし、おれらの1年上(2期上)の先輩が次長課長・ブラマヨ・野性爆弾っていう黄金の13期なんだけど、確か13期の方々より早く2丁目劇場のレギュラーになったからね。芸人1年目の年末に「オールザッツ漫才」にも出たし。
深田 それは凄いですね!
樅野 まあスーパーエリートだよね(笑)オリラジくらい出世早かった(笑)
深田 そこからずっと順風満帆ですか?
樅野 その後、おれらは1年半で東京進出したの。当時は大阪で成功してから東京行くのが普通だったんだけど、おれらは生意気にも「どうせ、いつか行くんだから早い方がいい」って。それで東京に移籍して銀座七丁目劇場に出るようになったの。
深田 展開早いですね。
樅野 でもその後は苦労したけどね。ちょっとして銀座の劇場も閉館して。その時、1回芸人辞めようって思ったから。そこから2年ぐらい仕事なくて。で、その頃に新宿にルミネが出来たのかな。
深田 ルミネが出来てから仕事増えたんですか?
樅野 当時、オンバトを出ることを目標にしていたんだけど、ある時に欠員が出て初めてオンバトに出させてもらえたの。1回でも落ちたら2度と出させてもらえない崖っぷちの状況だったけど、オンエアしてもらって、その日から2年間で8連勝。
深田 8分の8オンエアですか?
樅野 そう。2年連続決勝にも行かせてもらって。
深田 おぉ、すごい!
樅野 で、1回目のオンバトの決勝の翌年の学園祭シーズンから芸人として食えるようになった。
深田 コンビ解散が決まって、「樅野が作家になるらしい」って噂を聞いてなろうと思ったってどういうことですか?
樅野 おれらが解散するって決まったのが2004年の秋だったんだけど、12月にDVDの発売が決まったりしてて、色々な人に失礼になっちゃうからすぐには公表できなかったの。
深田 ほぉ。
樅野 ただ、M-1にもエントリーしてないし、仕事のスケジュールも白紙になってたから芸人の間では「チャイルドマシーン解散するらしい」って噂が流れて色んな人から「樅野、作家になるんやろ?」って言われたの。元々は芸人辞めたら田舎帰ろうと思ってたんだけど、それ言われて「放送作家やってみるのもあるか」と思って2年だけやってみようと思ったの。その時、30歳だったんだけど30で田舎帰っても32で帰っても一緒だなと思って。
深田 へぇ~
樅野 で、「虎の門」でお世話になってたテレ朝の藤井さんには報告しとかなきゃと思って電話したの。「芸人辞めて放送作家に挑戦してみようと思います」って。そしたら「そうなんだ。なんかあったら連絡するわ~」って言っていただいて。で、ちょっとしてから藤井さんから電話あって「ライバルの番組だけどやる?」って。
深田 何の番組ですか?
樅野 「限界アンタッチャブル」っていう特番。そこにいたスタッフが作家は伊藤正宏さん、渡辺真也さん。ディレクターがテレ朝の小田さんっていうのちにお世話になる人ばっかだったんだけど。
深田 お~、作家デビューからそのメンバーとめぐり合ったんですね。でも、不思議なのはコンビ解散してなんで芸人辞めようって思ったんですか?ピンでやろうとか思わなかったんですか?
樅野 チャイルドマシーン以上のコンビを作る自信はなかったし、ピンとしてもバカリズムさんみたいな圧倒的な発想もないし、くまだまさしみたいな圧倒的なキャラもないし、あべこうじ君みたいな圧倒的なしゃべりもないから。おれがピン芸人やるなんておこがましいって感じだったから。
深田 そうか~、やっぱり厳しい世界ですね。チャイルドマシーンはM-1優勝候補だったって聞いてましたけどね。
樅野 いや、優勝候補ではないかな。決勝進出候補ではあったと思うけど。
深田 そこから藤井さんのもとで作家を始めて打ちのめされていく日々が始まるわけですよね(笑)
樅野 そうそう(笑)