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林田晋一 独占インタビュー

名前林田 晋一
はやしだ しんいち
出身地三重県松阪市飯高町
生年月日1983年4月19日
主な担当番組– 月曜から夜ふかし
– 1周回って知らない話
– クイズ!脳ベルSHOW
– ヒルナンデス!
など

アンケートへの回答をもとにインタビュー取材

Q:放送作家になったきっかけは?

松本人志を崇拝し、「放送室」きっかけで高須光聖さんに憧れて。
(※僕ら世代が作家を目指す理由で、一番ベタなパターンです)


深田 こういう取材受けないタイプだと思ってたから、意外だったよ。

林田 数多いる放送作家の中でも、自分は“引きがないタイプ”の作家だとちゃんと自覚しているので…。他の皆さんと違って、大した実績も得意分野もないし、そもそも自分の話をすることが苦手なんですよ。薄っぺらい人間だってバレるから。ただ、作家界で唯一の「友達」がセミナー同期の深田と米田だけだから。深田さんに言われたら断れませんよ。ちゃんとここ、切らずに書いてくれます?「あいつ普段、会議で全然喋らないくせにノリノリで取材受けてる」って思われるから…。

深田 林田はそういうの気にするタイプだもんね(笑)林田とは日テレ学院の同期で、放送作家になる前から知ってるのである程度の経緯は知っているつもりだけど、細かく放送作家になるまでの経緯を聞いてもいい?読んでくださっている方、日テレ学院とはあの売れっ子放送作家の興津豪乃さんも通っていた伝統ある放送作家スクールです。

林田 長くなる上に何も面白くない話で恐縮なんですが、大学3年の就活の時期まで、将来やりたいことがなかったんですよ。生まれ育ちは三重県の山奥で、当時は最寄りのコンビニまで車で1時間かかる超ド田舎だったんですけど。親が教師だったんで、中学生ぐらいまでは自然に「将来、先生になる」って思ってたんですよ。でも高校生ぐらいで何か違うなって思って、「福祉の仕事しよう」って高3の時に受けた大学が全滅で。浪人中、「それも違うな」って思って、当時なんとなく興味あった心理学系に絞って受験するという超フワフワした感じで、大学に入って上京しました。

深田 大学、早稲田だもんね。

林田 第一文学部総合人文学科心理学専修ってとこです。でも大学に入っていざ心理学を学んだら、「これを一生の仕事にする感じじゃないな…」って思って。やりたいことが見つからないまま、大学3年秋の就活シーズンになっちゃいまして・・・。

深田 そこでテレビ業界に行こうと?

林田 そういうわけでもないんですけど。今はわからないけど、当時テレビ局って他の業界より採用試験が早くて、みんな練習がてら受けてたんですよ。僕も一応、受けてみようとキー局と関西ローカル局、一通りエントリーして、3次面接で落ちた日テレ以外は全部1次のWEBエントリーで落ちて・・・。で、ここでようやくアンケートの本題なんですけど、僕、相当なお笑い好きだったんですよ。

深田 そのイメージないよね。

林田 「ごっつええ感じ」で松本人志の圧倒的笑いの虜になって、当時、量産されていた「松本信者」になって。憧れすぎてて、あえて敬称略で呼ばせていただきますけど。「ごっつ」や「1人ごっつ」のビデオ、TSUTAYAで何百回も借りて見てその流れで他のお笑いも片っ端から見るようになって。大学時代、毎週、ルミネtheよしもと行ってましたからね。1人で。

深田 意外だわ~。全然知らなかった。

林田 話は浪人時代に戻るんですけど、名古屋の予備校の寮で一緒だった辻ってヤツと、「ごっつが好き」って共通点で仲良くなって。彼に「放送室」を教えてもらって。寮にはテレビがなくて娯楽がラジオだけだったんで、すぐ聴いてみたら「なんじゃこれ、面白っ!いや、それより神様・松本人志と対等に楽しそうに話してる高須さんって誰?放送作家って何?」ってなって。

深田 それが放送作家を知ったきっかけ?

林田 そうそう。俺ら世代で作家を目指す人で一番ベタなパターン。松本さんに心酔して、高須さんにたどり着くっていう。で、就活の時に「自分、お笑い好きだけど芸人になって人前に出るタイプでは絶対にない。でも放送作家って興味あるな~」って思って。日テレ学院のバラエティ作家コースに通うことにしたんです。 

深田 林田は在学中に日テレ学院に通ってたんだよね。俺は大学卒業してすぐに上京して通ったけど。林田は同い年だけど浪人してるからあの時は大学4年だったのよね。

林田 大学4年の4月ですね。ちょうどその年、就活が学生の売り手市場だったんですよ。周りの同級生がすんなり大手企業に内定もらってたから「就活って簡単そうだし、とりあえず1~2年は放送作家を目指して、ダメなら就職すればいいや」ぐらいの軽い気持ちでした。その2~3年後に就職氷河期になって、後戻りできなくなるんですけど…。

深田 そうか。でも、俺も林田も日テレ学院に半年通ってみて特に道は開けずだったよね。

林田 そう、セミナーを主宰してたオフィスぼくらに入れたのはたしか小島さんって人だけだったもんね。で、大学4年の9月にセミナーが終わったタイミングで、10月からニッポン放送で「THE放送サッカーズ」って番組が始まるんですよ。月曜日が高須さん、火曜日がおちまさとさん、水曜日が石川昭人さん、木曜日が鈴木おさむさんって、有名放送作家の方々が日替わりでパーソナリティーを務める、半年限定の番組。

深田 あ~、そうだったっけ。そのタイミングで始まったのか。

林田 何か作家になるヒントはないか…と、聴いてみたら木曜日、鈴木おさむさんの第1回目の放送で「今まで断ってたけど、この度、弟子を募集しようと思います。弟子志望のリスナーは、毎週ネタを送ってください」的なことをおっしゃってて。「これだ!このチャンスがあったから、日テレ学院で何もなかったんだ」と思って(笑)ハガキ職人の経験とかなかったけど、メールでネタを送り続けたんですよ。そしたらわりと毎週のように読まれて。

深田 で、そこから?

林田 よく読まれてる人って4~5人で、中でもたぶん僕、1番採用されてたんですよ。で、半年限定の番組が終わる3月に、「何人か実際に会って、面接して決める」って流れになって、僕も呼ばれるわけです。ニッポン放送に行って、おさむさんとアナウンサーの増田みのりさんと面接しました。その後、高須さんの奥様になる。

深田 へぇ~。番組のアシスタントやられてたんだよね。

林田 呼ばれたのは僕を入れて3人。大体みんな同世代だったはず。緊張してあまり覚えてないけど、肌感覚で「この3人の中なら自分が選ばれるな…」って思ったんですよ。他のお二人には失礼な話ですけど。面接したのが大学4年の3月半ば。その結果が、3月29日木曜日の最終回の生放送で発表される流れで。早稲田の卒業式が3月25日だったんですよ。だから無職で大学卒業したんです。周りに「どこ就職するんだっけ?」って聞かれてもごまかしたりして。

深田 でも合格の自信あったんでしょ?

林田 そうそう、だから「俺は4月から鈴木おさむの弟子になって、そこから放送作家になるのか~」って思ってて。29日の当日、生放送をドキドキしながら聴いて。そしたらおさむさんが「3人同時に面接したけど、実はその日にスケジュール合わなかった地方の子が1人いて。別日で面接して…弟子はその19歳の福田くんって子を取ることに決めました!」って(笑)

深田 残念!(笑)それがあの福田卓也さんね?

林田 そう。僕は面識ないですけど、錚々たる人気ラジオ番組やられてたり、テレ東系の番組をよくやられてる方ですよね。ということで、4月から無職が決まりました。

深田 放送作家になってからおさむさんにそのことは話したことあるの?

林田 ないんですよ。「ペケ×ポン」って番組でご一緒させていただいたんですが、とんでもない売れっ子作家さん揃いの緊張感ある会議で、1番下の若手作家が、プライベートなお話をできる空気じゃなくて…。

深田 で、その続きはどうなるんだっけ?

林田 失意の中、「放送室」を聴いてたら、なんとそのタイミングで高須さんが「弟子を募集する」ってお話されてるんですよ。「これだ!日テレ学院で何もなかったのも、おさむさんの弟子に落ちたのも、全ては自分が作家を目指すきっかけになった『放送室』で高須さんの弟子になるためだったんだ!神様、それを早く言ってよ」って感じで(笑)

深田 さすが粘り強いね(笑)

林田 で、たしか700~800人の応募があってその中で選ばれた人を3回ぐらい面接して絞っていく流れだったんですけど、最後の5人まで残って。ちなみにその5人の中には、日テレ学院の同期、深田憲作さんもいて。最終面接は、当時、赤坂にあった高須さんの事務所に呼ばれてでも空気的に「全員採用だけど、とりあえず顔合わせ」的な感じだったから「高須さんの弟子になるのか~、深田とは長い付き合いになるな~、よろしくな!」ぐらいに思ってて。

深田 (笑)

林田 ところが数日後、「ご期待に添えることはできませんでした」って不合格通知のメールが来て、深田を含めた3人だけが合格して。地獄に突き落とされましたよ。今でも福田さんやその3人には一方的な敗北感を持ってます。

深田 でも、確か俺の記憶だとその頃は制作会社でリサーチのバイトやってたよね?

林田 実はそうなんですよ。っていうか、まだエピソード的に作家にもなってないけどこんな面白くない話を長々してて大丈夫?ちゃんとバッサリ切ってくださいね。

深田 一応、放送作家になったきっかけのブロックは取材したみなさんが話しくれたことを出来るだけそのまま書くようにしてるんで(笑)

林田 日テレ学院で知り合ったキシさんって人のつながりで、ネットコンテンツのネタ出しをさせてもらうようになって、そこで出会った、今でもめちゃくちゃお世話になってる作家の先輩の紹介でリサーチャーとして雇ってもらえて。

深田 そのリサーチから仕事広がった感じ?

林田 一応、「作家見習い」って感じでネタ出しもさせていただいてたんですけど基本は「リサーチャー」だったからなかなか広がらなかったですね。ちなみに、初めてリサーチのレギュラーとして会議に参加させていただいたのが、日テレの「恋愛新党」っていう今じゃ考えられない、堺雅人さんMCの番組で。そのちょっと後にテレ朝の「リーダー’s ハウトゥ ブック」っていう城島リーダーの番組の会議にも出させていただいたり。で、2009年4月に日テレで土曜のド深夜でやってた「アイドルの穴」って番組に、ノーギャラ作家で入れていただいたんですよ。アイドル好きなら知らない人はいない、日テレの毛利さんの番組。MCがまだ再ブレイクしかけた頃の有吉さんで、水着のアイドルたちが日テレジェニックを目指す笑いとセクシー重視の、下世話なドバラエティ番組。ド深夜の低予算番組だったから、作家の人数も少なくて。何の経験もない僕が、ロケ台本ガッツリ書かせていただいて、ナレーションも毎週書かせてもらって。情報ゼロのドバラエティで、ロケからトーク企画からドッキリ企画からオールジャンルの番組だったからめちゃくちゃ勉強になりました。しかもアイドルにお仕置きする気持ち悪い男の役として、番組にも出てたんですけど、毎週、ロケ現場に行くから、自分が書いた台本のせいで、演者さんがスベるのも目の当たりにできたんですよ。

深田 それは貴重な体験だね。

林田 そこから6年間、「アイドルの穴」と姉妹番組の「アイドル☆リーグ!」って番組で毎週台本書いてはロケに行って出演して、その時の経験が作家人生の基盤になっていますね。おかげで、台本書く時は第一に現場を想像するようになったし、今でも自分が背負ってる番組の収録は、必ず行くようにしてます。当たり前のことですけど。ちなみに、気持ち悪い役で番組に出るようになったのは、チーフ作家の方に「君、出れば?」って指名されたからなんだけど。何年も経った後に聞いたお話だと「作家は現場を知らなきゃダメだから」って、駆け出しの僕が現場の空気を学べるように言っていただいてたみたいで。今でもお世話になりっぱなしのその方には、とにかく足を向けて寝られません。

深田 いい話だね~。

林田 それからちょっとずつ作家として呼んでいただけるようになって、28歳ぐらいで独立して個人になってって感じです。長すぎる上につまらないよね?これ、佐藤大地さんのインタビュー並につまらなくなってるでしょ?

深田 いや、大地さんの記事つまんなくなかったし、つまんなかったとしたらインタビュアーの俺の責任だからやめてくれ(笑)