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デーブ八坂 独占インタビュー

名前
(本名)
八坂英敏
やさか ひでとし
出身地大分県
生年月日1983年8月6日
主な担当番組– 和風総本家
– お願いランキング
– 得する人損する人
など

アンケートへの回答をもとにインタビュー取材

Q:放送作家になったきっかけは?

・お笑い芸人になるために18歳で東京アナウンス学院に入るも三拍子さんの漫才を見て「これは無理だ」と判断。半年で学校を中退。

・その後、彼女の家に居候をしながらオールナイトニッポンや週刊SPA!のバカサイ、TBSジャンクなどのネタハガキを週に100枚送り、ハガキ職人として田村淳さんのオールナイトニッポンに呼ばれる。

・そこで淳さんに「放送作家目指してんの?だったら次は現場で会おうな」と言われたことに触発され、翌日、漫画喫茶で「放送作家 募集」と検索して出てきた現在の事務所「オフィス・トゥー・ワン」の門を叩く。

・その後、TBSの深夜特番「プライス4」のリサーチの仕事が決まり、業界に入ったのが放送作家になったきっかけです。


 そもそもお笑いを好きになったきっかけは何ですか?

 小学1年生の時にダチョウ倶楽部さんが流行ってたんですけど、クラスに「ダチョウ倶楽部ってつまんない!」っていう友達がいて。それに僕が、「いや、あの感じが面白いでしょ!」って言い返して取っ組み合いの喧嘩になっちゃったんです。で、相手の襟首を持ちながら「あれ?もしかして僕はお笑い好き?」って認識したのが一番古い記憶なのできっかけなのかなと。(笑)

 ダチョウさん的に嬉しいのか嬉しくないのか分かんないエピソードですね(笑)

 たしかに(笑)でも、そこから「バカ殿」を見始めて中学の時に「ボキャブラブーム」が来て、芸人さんのネタにも興味持ち出して、友達同士でコントグループを組んで文化祭や学校行事でコントを作って人前で出てやるような少年になっていきました。

 クラスでは人気者だったってことですか?

 人気者というかただの目立ちたがり屋です(笑)今考えると超痛いですけど高校の時も「全校生徒を笑わせよう」っていう目標を決めて、球技大会が1年から3年まで体育委員長が挨拶をするっていうのを知って体育委員長に立候補して、先生のモノマネやったり、「暑いですね~」とか言って急に倒れて運ばれるみたいなボケをやってました。
今、考えると超嫌いなタイプですよ。

 高校生くらいから芸人になりたいと思い始めた感じですか?

 そうですね。

 で、アナウンス学院を選んだ理由は?

 大分県の田舎だったので、親に「学校」って言った方が説得しやすかったからですね。

 相当な覚悟で上京したと思うんですけど、たった半年ですぐ芸人はあきらめたんですね?

 すぐに自分にセンスがないのを知ったんです。アナウンス学院のイベントで卒業生がネタをやるっていう時に2個上の先輩の三拍子さんがネタやったんですけどめっちゃ面白くて「あと2年でこの人たちぐらい面白くなるのは俺、無理だわ!センスないわ」って、すぐ辞めました(笑)

 「芸人は諦めて放送作家になろう」と思って辞めたんじゃなくて、次に何をするかは全く考えずに辞めたんですか?

 そうですね。

 その後、フリーターをしながらラジオのハガキ職人をやっていて、ロンブーの淳さんに会った時に放送作家になろうと思ったと?

 淳さんのオールナイトニッポンの最終回に呼ばれまして、打ち上げで淳さんから「君は放送作家になんの?」って言われて、そんなこと思ってなかったんですけど、ド緊張してたので勢いで「はい、なります!」って言っちゃったんです(笑)

 この仕事始めてから淳さんには会えたんですか?

 会えました!9年後の28歳の時ですね。「世界なんでも勢力図」っていう関テレの特番で。作家の大井洋一さんが考えた企画を僕が企画書にするってことで、大井さんが「好きな人MCで書いといていいよ」って言われたので淳さんって書いたら、そのまま通って。大感動ですよ。

 おぉ、すごい。

 その番組の会議で「ラジオで淳さんに言われて放送作家を目指した」って話をディレクターさんにしたら「おい、それは収録終わりに紹介してあげるから挨拶しなよ」って言ってくださって。それで収録後に楽屋で挨拶させてもらったんです。そしたら淳さんも僕のこと覚えてくれてて、握手してくれて。
楽屋から出た瞬間に号泣(笑)

 (笑)いい話ですね~