名前岐部 昌幸
きべ まさゆき
出身地群馬県太田市
生年月日1977年10月9日
主な担当番組– ゲームセンターCX
– 勇者ああああ
–  シューイチ
など

Q:今まで自分が通した中でベストな企画は?

※それぞれディレクターと詰めて、ですが

・(番組企画)カメレオン
ピカルの定理のコーナー企画になる前、全く関係ない特番として放送したのですが、企画書を作っている時点で「あ、これは通るな」と確信したのは後にも先にもこれだけです。

・(コーナー企画)関ジャニ∞クロニクル 英会話伝言ゲーム
外国人の知り合いが、私が担当していると知らず「すごく面白いテレビがあるよ」と教えてくれたのがこのコーナーでした。

Q:ディレクターやプロデューサーにアピールしたいことは?

・テレビゲームをテーマにしたコンテンツ
・放送作家の中でオートレースに関しては一番詳しいと思います。
(中学時代から父に連れられ現在もレース場に足を運んでいます。森且行選手の日本一も生で見届けました。群馬県民の私の中ではギャンブルというより迫力あふれるマシンスポーツを観る感覚です)


深田 岐部さんはテレビ界ではもちろん、世間のゲームファンにも知られた存在だと思いますが、そもそも子どもの頃からゲーム好きだったんですか?

岐部 先ほども言いましたが家が貧しかったので、当時大ブームだったファミコンは買ってもらえませんでした。そんなある日、母親が新聞の地域欄の「売ります買います」という、いまでいうジモティみたいな記事に「格安でゲーム機を売ります」という一文を見つけて、僕に内緒で買ってくれたんです。ただ、いざ届いてみたらファミコンではなく、見たことも聞いたこともない「セガ」とかいう謎のゲーム機だったんですよ。母親からすればファミコンもセガも同じゲームだと思ったんでしょうね。当時、全国各地で同じような悲劇が起こっていたみたいなんですけど(笑)。でも、実際に遊んでみたらセガのゲームも面白かったですし、でもやっぱりファミコンでドラクエやりたい! みたいな執着心は消えなかったり。

深田 なるほど、ファミコンへの飢えがゲーム好きを増幅させたわけですね。

岐部 のちにファミコンも手に入れることができたんですが、それが、お金持ちの同級生のお古でした(笑)。お金持ちのクラスメイトが「ファミコンが黄ばんじゃったから新しいのを買うんだ~」って言ってるのを耳にして、家で「なんであの子は2台買うのにウチは1台もないの!」と母親に愚痴ったら、あとでこっそり母親がそのお金持ちの家に菓子折りを持って「捨てるファミコンを譲っていただけないでしょうか?」って。本当に母は偉大ですね。

深田 泣けるエピソードですね(笑)。ゲームの仕事をやるようになったきっかけは『ゲームセンターCX』ですよね?当時からゲーム好きっていうのが知られていたんですか?

岐部 僕がある特番の会議が始まる前に、ゲーム雑誌の「ファミ通」を読んでいたところ、その場にいた大御所ディレクターから「こいつ、いい年してファミ通読んでるぞ~」とイジられたことがあったんですよ。いまなら大人でゲーム好きも珍しくないですけど、当時はオタクや子供の遊ぶもの、というイメージが特に上の世代の人には強かったのかもしれません。これからヒリヒリする構成会議が始まるというのに、会議でもロクに発言しない若手がのんきに、いまで例えるならコロコロコミック読んでるみたいに見えたのでは。

深田 確かに変な奴とは思いますね(笑)。

岐部 私にとっては数日間引きずるようなショッキングな出来事だったんですが、実はその会議に先輩作家の酒井健作さんもいて、そのときのやりとりをずっと覚えていたみたいなんです。そして『ゲームセンターCX』の立ち上げの際「ゲームが好きな若手作家」が必要になって、「あ!あのイジられてた彼!」と僕の存在を思い出し、お誘いの連絡をくれました。

深田 それでいうと、その先輩ディレクターのいじりがなかったら呼ばれてない可能性もあるし、その後の数々のゲームの仕事にもつながっていない可能性があるわけですよね?それすごいターニングポイントですよね。

岐部 そうですね。例の上京したのに引きこもっていた期間も、お金がないからひたすら古いゲームをして時間を潰していたんです。それが、古いゲームに有野課長が挑戦する「ゲームセンターCX」に活かされるという……。ゲームに限らず、放送作家のキャリアを振り返ってみると「無意味に思えたアレがのちの仕事につながってる」といういうことばかりです。自分は「川に流れる小さな葉っぱ」のように生きてきた人間で、あちこちで荒波や激流に揉まれるけど、時々いい景色が見えるなぁ、みたいな。流されるまま生きてきたら、現在にたどり着いた、という感じですね。

深田 ゲームの仕事って番組以外にも何かやられてるんですか?

岐部 ゲーム会社さんのYou Tube動画の構成や、イベントの進行台本、ゲーム原作のアニメ脚本、最近ではついに、ゲームのシナリオを書くお仕事も頂いて、いろんな景色を見せてもらっています。

深田 ちなみに元々好きだったゲームも仕事になると嫌になったりしないんですか?

岐部 僕の場合はむしろゲームの仕事をやるようになってから、より多くの作品に出会う機会が増え、さらに好きになった感じです。この打ち合わせ前もゲームやってましたし(笑)。子どもの頃の「ファミコン買ってもらえなかった」という思いの反動が、いまだに続いているんでしょうか(笑)。

深田 それは天職ですね。あとは岐部さんがオートレースを好きだというのは知らなかったです。

岐部 父親が好きでよくオートレース場に連れて行ってもらっていたんです。「ケンミンショー」でも度々イジられていますが、群馬県民にとってレース場に遊びに行くのはそんなに抵抗がないというか、レジャー感覚。むしろウチはオートレースを通じて父と息子の関係性が深まりました。オートレース歴かれこれ30年になる僕が声を大にして言いたいのが「公営競技の中でオートレースが一番面白い!」。こんなに面白いんだからもっと盛り上がって欲しいっていう思いをずーっと抱えていて、そういうお手伝いをしたいと思っています。生配信とかも増えてきているので、放送作家に出来ることはあるんじゃないかなと。オートレース関係者の皆様、オファーお待ちしております!

深田 ゲームもそうだと思いますけど、好きなことを仕事としてやりつつ、その世界を盛り上げられたらいいですよね。