名前戸田 倫彰
とだ のりあき
出身地東京都板橋区
生年月日 1981年8月22日
主な担当番組– やりすぎ都市伝説
– ウルトラ怪獣散歩
– クレイジージャーニー
など
TEL070-4208-1643

アンケートへの回答をもとにインタビュー取材

Q:放送作家になったきっかけは?

伊集院光さんのラジオ 
スタジオで笑っている作家の渡辺雅史さんについて
伊集院さんがよくお話されていたので
ラジオを通して放送作家の存在を知りました

Q:人生で1番好きだったテレビ番組は?

矢追純一UFOスペシャル
UFO基地であるエリア51の存在、ロズウェルUFO墜落事件
インターネットのなかった時代にこれらの謎に迫った衝撃のドキュメント


深田 伊集院さんのラジオっていうのはずっと続いている有名なやつですよね?

戸田 そうです。中学2年の時に友達に勧められて聴くようになったんですけど、当時は「伊集院光のUP´S(アップス)」っていう番組名だったかと思います。そのラジオを聴いていたら渡辺さんという放送作家の方がプライベートでもずっと伊集院さんと一緒に遊んでいるという話しを聞いて、楽しそうだな。と漠然と放送作家になりたいと思うようになりましたね。

深田 中学生の頃から放送作家になりたいと思っていたんですね。

戸田 高校に入った頃にはその思いも忘れてしまってましたけどね(笑)僕は高校生活があまり楽しくなかったんですよ。で、ある時に「ベルセルク」っていう漫画を読んでいたら、主人公が所属していた団体「鷹の団」から抜けるっていう場面があったんですけど、その決断に至るまでの描写を見て感銘を受けて高校は中退しちゃったんです(笑)

深田 感銘受けすぎじゃないですか!?(笑)

戸田 そうですね(笑)それで高校辞めてヒマだったのでラジオばっかり聴いていたんですよ。ニッポン放送は電波が悪かったのでもっぱらTBSラジオ系でコサキンさん、爆笑問題さん、極楽とんぼさんとか。それで改めて自分には放送作家になりたいという思いがあったんだと思い出しまして。それで20歳の時に放送作家事務所に連絡を入れて、仕事をお手伝いさせてもらうことになりました。

深田 その事務所が放送作家を募集していたんですか?

戸田 いえ、募集してなかったんですけど電話をかけたら「1回遊びに来てみる?」と言われて、行ってみたらお世話になることになったという感じです。

深田 最初は先輩のお手伝いみたいな感じだったと思いますけど、どれくらいで食えるようになりました?

戸田 5~6年はかかりましたね。ずっとレギュラー番組が1本みたいな状態でした。実家だったんで生活は出来てましたけど。

深田 僕は戸田さんのことを放送作家の中でもトップクラスの変人だと思っているんですけど(笑)学生時代はどんな子供でした?

戸田 実は、小学生から中学2年くらいまではクラスの人気者というかお調子者っぽい感じでしたよ(笑)

深田 へぇ~、それはどんな人気者でした?

戸田 率先してギャグを言ってみんなを笑わせる感じでした。ただ、それも思春期まででしたね。中学2年くらいでリアルな中2病みたいになって、ストレートに人を笑わせることが恥ずかしくなったんですよ(笑)

深田 僕らの世代ってダウンタウンの松本さんの影響で、クラスの先頭に立って笑いを獲る明るい奴は「楽しいだけで面白くない奴」みたいに思っちゃってる節ありましたよね?クラスを盛り上げてくれてる明るい子をナナメに見るって今思えば気味悪い子供だったなと思うんですけど(笑)

戸田 僕も松本さんの影響はありましたし、伊集院さんもラジオではけっこうな毒舌でトークされる方なんですけど、その影響もあってストレートに笑いを獲りに行くのが恥ずかしくなりましたね。それまでは率先してギャグをやるような感じだったんですがそこから学校を中退しちゃうようなタイプの子になっちゃいました(笑)

深田 のちほど戸田さんのオカルト話はたっぷり聞きますけど、オカルト系は学生時代から好きだったんですか?

戸田 小学生の頃から好きでした。おじいちゃんがそういうの好きでよくビデオに録画したのを見てたんですよ。UFO特番とか宜保愛子とか。80年代ってオカルトブームがあったんですけど、その頃ですね。僕も矢追純一スペシャルを見たり、そっち系の本をめちゃめちゃ読んでました。小学生で黒魔術の本読んでましたからね。悪魔召喚の儀式について勉強してましたね(笑)

深田 すごいですね(笑)