
| 名前 | 藤澤 朋幸 ふじさわ ともゆき |
| 出身地 | 東京都板橋区 |
| 生年月日 | 1978年10月2日 |
| 主な担当番組 | – 帰れマンデー見っけ隊‼ – 帰れま10 – お助け!コントット – 特捜警察ジャンポリス など |
アンケートへの回答をもとにインタビュー取材
Q:放送作家になったきっかけは?
・作家に誘ってくれた大隈いちろうさん、松本哲也さん
・背中を押してくれたDragon Ashメンバー
・勘違いさせてくれたデーブ八坂さん
Q:人生で1番好きだったテレビ番組は?
・HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP
Q:ディレクターやプロデューサーにアピールしたいことは?
・曲がりなりにも15年ほど演者側にいたので、
そのキャリアを活かせる場面はあるかもしれません。
・YouTubeチャンネルやTikTokアカウントの運営を多く担当しているので、
テレビとの連動などでお役に立てそう。
深田 藤澤さんは放送作家になるまでの経歴がかなり特殊ですよね。順を追ってお聞きしますね。10代の頃は芸人をやられていたんですよね?
藤澤 はい、高校1年から大学2年くらいまで芸人として活動していました。高校の同級生とコンビを組んでいたんですけど、僕らはバナナマンさんに憧れていたこともあって、事務所はM2カンパニー(今でいうホリプロコム)にお世話になっていました。
深田 どういう経緯で高校生で芸人をやることになったんですか?
藤澤 僕が通っていた高校がわりと芸能関係が多かったんですけど、同級生の友達にピン芸人がいたんですよ。そいつの家に泊まりに行った時に「ちょっとお試しでやってみる?」っていう話になって、お笑いライブのオーディションを受けに行くことになったんです。
深田 藤澤さんは学生時代の友達が凄いメンバーですもんね?ドラゴンアッシュとか友達ですもんね?
藤澤 メンバーのうち3人が高校の同級生なので、もう20年以上の付き合いになりますね。
深田 他に学校にはどんな人がいました?
藤澤 先輩に市川海老蔵さんがいらっしゃいました。
深田 僕みたいな田舎もんからしたら考えられない環境ですよ(笑)で、芸人を辞めることになったのはなんでですか?
藤澤 今でもやっているライブなんですけど人力舎が主催している「バカ爆走!」によく出させてもらっていたんです。そのライブでネタをやって10週勝ち抜いたらテレビによく出ている芸人さんたちと同じライブに出ることが出来たんですよ。当時はボキャブラ全盛期だったのでボキャブラに出ている人たちと同じ舞台に立てるってことで僕らも頑張ってやって、9週まで勝ち抜くことが出来たんです。
深田 凄いですね!
藤澤 でも10週目挑戦の時に僕も相方も緊張してしまったのか、ネタ中に2人同時にセリフが飛んじゃったんです。で、結果も負けてしまって。その後、もう一度、9週目までは進めたのですが、また10週目で負けちゃって。まぁ、それだけが理由ではないんですけど、今思えばそこで心が折れてしまって徐々に芸人からフェードアウトしたっていう感じですね。
深田 その後、音楽の道に行ってますよね?
藤澤 はい、その相方が元々バンドがやりたかった人間で。僕は正直、さほど音楽には興味なかったんですけど「電気グルーヴでいうところのピエール瀧さんみたいなポジションになってくれればいいから」って説得されてやることになりました(笑)
深田 確かエイベックスでしたよね?
藤澤 最終的にエイベックスのヴァイナルレコーズっていうレーベルにお世話になりました。
深田 CDは何枚くらい出してるんですか?
藤澤 全国流通した音源はシングル2枚、アルバム2枚だと思います。芸人は5年、バンドは10年やったので、およそ15年ほど出る側を経験させてもらいました。
深田 そこからどうやって放送作家に?
藤澤 芸人時代からお世話になっている大隈いちろうさんという先輩がいまして、その方は芸人からディレクターになられた方なんです。で、僕のバンドが解散したタイミングで電話をくれて「作家とか興味あるなら俺が面倒見るけど?」って誘ってくれまして。最初は迷ってたんですけど、やらせてもらうことになって、それで入れてもらったのがNHKの「Shibuya Deep A」という番組なんです。そこには大隈さんと同じく、芸人時代にめちゃくちゃ可愛がってもらっていた先輩の松本哲也さんという方も作家で入られていて。僕にとっては大好きな先輩2人と仕事させてもらえるというありがたい環境でした。
深田 ドラゴンアッシュに背中を押してもらったというのは?
藤澤 僕が放送作家をやろうかどうか迷っている時に、ほとんどの知人が反対してたんですよ。僕もその時30歳過ぎてましたし「今から放送作家とかやって大丈夫?」みたいな感じで心配されて。そんな中でドラゴンアッシュのメンバーは「藤澤はモノを書く仕事をした方がいいと思うから絶対やった方がいいよ」って言ってくれて。芸人を辞めた後、僕が脚本を書いて降谷建志(Kj)くん主演の自主映画を撮ったことがあったんですよ。それもあって僕が放送作家になるっていうのを後押ししてくれて僕もやってみようと思えたんです。
深田 ドラゴンアッシュに背中押されるってすごいですね。デーブ八坂さんに勘違いさせてもらったっていうのは?
藤澤 放送作家を始めてから、あるときに若手作家が集まる飲み会で八坂さんと初めてお会いしたんですけど、そこで僕が楽しくしゃべってるのを見て「藤澤君は放送作家向いてるよ!」って言ってくださったんです。番組はもちろん、企画会議すら一緒にやったこともないのにそんなことを言ってくれて。「いろんな番組のエンドロールで名前をよく見る八坂さんにそんなこと言ってもらえるなら俺いけんのかな?」って、良い意味で勘違いできたんですよね。しかもその後、僕と1回も仕事をしたことがないのに番組に呼んでくださったんですよ。八坂さんには本当に感謝してます。
深田 このサイトで八坂さんの話はよく出るから、やっぱりあの人凄いな~。
藤澤 僕の人生は本当に人に恵まれて、人に救われてここまでやってきたのでその人たちになんとか恩返ししたいですね。
| 名前 | 藤澤 朋幸 ふじさわ ともゆき |
| 出身地 | 東京都板橋区 |
| 生年月日 | 1978年10月2日 |
| 主な担当番組 | – 帰れマンデー見っけ隊‼ – 帰れま10 – お助け!コントット – 特捜警察ジャンポリス など |
Q:仕事を始めてから1番衝撃を受けた放送作家は?
・橋本俊哉 さん
Q:自分がディレクターだったら放送作家は誰を呼ぶ?
・橋本俊哉 さん
・オグロテツロウ さん
・藤原ちぼり さん
Q:仕事を始めてから1番衝撃を受けたディレクターは?
・中田一宏 さん
Q:テレビ史上、最高の企画だと思うのは?
テレビではありませんが、
バナナマンさんのコント「ルスデン」を生で観たときの衝撃は忘れられません。
深田 この橋本俊哉さんという方は僕はご一緒したことないんですが、どんな方ですか?
藤澤 僕もお仕事させてもらったのは特番で何度かだけなんですが、定期的にやっている企画会議でずっとご一緒させてもらっているんですよ。主にスポーツ番組をやられている方でSNSとかで発信されるタイプでもないのでバラエティをメインでやっているテレビマンにはそんなに知られている存在ではないかもしれないですけど、僕がこれまで出会ってきた放送作家の中では1番衝撃を受けた人ですね。
深田 どんなところに衝撃を受けたんですか?
藤澤 スポーツをメインにされている方ですけど、バラエティも全然いけちゃう方で、会議での発言とか企画書の文言がとにかくキャッチーというか。刺さる言葉がポンポン出てくるんですよ。トークも面白いですし。
深田 へぇ~。あとは名前を挙げているオグロさん、藤原さんは僕もよく知ってますけど、藤澤さんにとっては友達みたいな存在ですよね?
藤澤 オグロ君は僕が作家を始める前からの友達で、ちぼりさんとはテレ東の番組で知り合いました。2人とも作家として優秀なのはもちろん、とにかく優しいですからね。放送作家の中にはズバズバ意見を言う方もいると思いますけど、僕は自分がディレクターだったらオグロ君とか藤原さんみたいな当たりが柔らかい人を作家として呼ぶだろうなと。リアルに自分がディレクターだったらっていうのを想像したらこの2人が浮かびました。僕にとっては師匠みたいな存在なんでアンケートには書かなかったですけど、もちろんデーブ八坂さんにも入ってもらいたいです。
深田 八坂さんは先輩からも後輩からも名前が挙がるからすごいですね~。
藤澤 あんな器の大きい人いなくないですか?失礼な言い方かもしれないですけど、気持ち悪いくらいにいい人ですよね。僕みたいな後輩と同じ目線で話してくれるし、よく褒めてくれるし、どれだけ奢ってもらったか分からないくらい奢ってもらってますしね。大隈さんもそうですけど、僕が仕事したい人に共通するのは優しいっていうところですね。僕はぶつかり合いながらピリピリした環境で仕事をしたいというタイプではないので。
深田 この中田さんというディレクターは?
藤澤 「Shibuya Deep A」で演出をされていた方なんですけど、あの番組はスタッフが100人以上いたんですね。出演者もロンブーの淳さんとかケンコバさんとかそうそうたるメンバーで。そんな番組の生放送をバシバシ仕切っている姿を見て、当時駆け出しの僕は「この業界ではやっていけないかも」って思いましたね。タレントさんとの打ち合わせも雑談も、生放送の仕切りとか、何から何まで衝撃でした。僕が出会った初めての演出でしたから。
| 名前 | 藤澤 朋幸 ふじさわ ともゆき |
| 出身地 | 東京都板橋区 |
| 生年月日 | 1978年10月2日 |
| 主な担当番組 | – 帰れマンデー見っけ隊‼ – 帰れま10 – お助け!コントット – 特捜警察ジャンポリス など |
Q:今まで自分が通した中でベストな企画は?
・お助け!コントット
Q:今後、関わってみたい番組は?
・音楽番組(レギュラーで関わったことが一度もないので)
・恋愛バラエティ(まったく縁がなかったジャンルなので)
・既存の番組なら「家、ついて行ってイイですか?」「ワイドナショー」
Q:今後の放送作家としての展望や人生の目標は?
・一日でも長く芸能界に携わっていたい
・トンツカタン森本くんMCの番組を地上波で作りたい
・コントを撮れるスタジオを作りたい
・芸能プロダクションを作りたい
Q:まだ出来ていないけどいつか仕事をしてみたい芸能人は?
・千原ジュニア さん
Q:放送作家になってから1番嬉しかったことは?
・Dragon Ashと一緒に仕事ができたこと
深田 トンツカタンの森本さんとはどんな関係なんですか?
藤澤 後輩の放送作家に紹介してもらって知り合ったんですけど、僕とその後輩と、ハナコの菊田さんと、トンツカタンの森本君の4人で、たまにご飯を食べに行ってたんですよ。芸人さんと知り合ったらその人のことを注目するようになるじゃないですか?それで注目して見ていたら森本君は芸人としても人柄も素晴らしいと思える人だったので「この人と一緒に仕事をしたい」と思うようになったんですね。
深田 藤澤さんは演者に寄り添って仕事をしたいと思う気持ちが強いですよね?
藤澤 そうですね、自分が元々そっち側だったこともありますし、演者さんと寄り添って仕事をしていくことで放送作家の仕事って格段に面白くなると思うので、かねがねそういう思いがありました。森本君と知り合った時に心から「この芸人さんと一緒に仕事がしたい!」と思えたんですよ。今はYouTubeチャンネルやラッパーとして曲を出すのをお手伝いさせてもらっていますけど、これらは僕の方から「やらせてほしい」とお願いしたことなんです。森本君はテレ東の佐久間さんのラジオにも呼ばれたり、業界注目度もぐんぐん上がっているので、僕なんかが応援しなくても確実に売れる人だと思うのですが、一日でも早く森本君MCの番組を地上波で実現させたいですね。
深田 アンケートを見てもやりたいこともたくさんあるみたいだし、藤澤さんは仕事がとても楽しそうですよね。
藤澤 そうですね。自分なりにこの仕事を楽しんでいる自信はあります。実は最初は放送作家という仕事にあまり良いイメージがなかったんですよ。自分が芸人時代は作家さんに対して「適当なこと言いやがって」とか思ったこともあったり(笑)。それにエンタメは表に出る演者をやってなんぼというか、演者が1番輝いていると思い込んでいたので。僕は元々自分が中心でいたいというタイプでしたから。ただ、放送作家をはじめた頃に、元芸人でドラマの「ごくせん」にも出ちゃうほど活躍していた大隈さんが演者の時と変わらないくらいに輝いて仕事をしてるなと思って聞いたことがあるんです。「なんで芸人時代と変わらず、そんなに輝いて仕事出来るんですか?」って。そしたら「お前もやってみれば分かる。演者も裏方も変わらないよ」って言われたんです。それで放送作家という仕事に思い切り飛び込んでみようと思えたんですけど、いざやってみたらこんなに楽しい仕事ないなと。一緒に仕事したいと思う人がいれば、本気でアタックすれば叶うことが多いし、自分でやりたい仕事を立ち上げることも出来るし。大隈さんとかDragon Ashとか、20年来の付き合いの方とこうやってお仕事出来ていたり、最高の仕事だなって思います。なんなら生まれ変わっても放送作家やりたいなって思いますもん(笑)
深田 それはめちゃくちゃ楽しんでますね(笑)
藤澤 これから1日でも長くこの仕事を続けたいですし、1人でも多くの面白い人に出会いたいですね。「芸能プロダクションをやりたい」と書いたのはそういうことで、新しい人と出会って、何かを一緒に発信していきたいという思いがありますね。
深田 藤澤さん、まぶしいな~(笑)
| 名前 | 藤澤 朋幸 ふじさわ ともゆき |
| 出身地 | 東京都板橋区 |
| 生年月日 | 1978年10月2日 |
| 主な担当番組 | – 帰れマンデー見っけ隊‼ – 帰れま10 – お助け!コントット – 特捜警察ジャンポリス など |
【取材後記】
僕が知りうる限りで藤澤さんは1番幸せそうに見える放送作家だ。
というのも、
普段から藤澤さんは仕事が楽しいこと、自分が環境に恵まれていること、
人に恵まれていること、幸せであることを一切の照れなく話すからだ。
本当に聞いていて気持ちいいほどに。
僕と藤澤さんとの出会いは飲みの場だったのだが
テレビマンにこのタイプは少ないため
飲み会にいたメンバーの中でも藤澤さんは印象に強く残る人だった。
ここで急に話は変わるが、僕が好きな言葉の1つに「適者生存」がある。
それは「強い者でもなく、頭がいい者でもなく、環境の変化に適応した者こそが生き残る」という生物界の掟。
進化論で有名なダーウィンが唱えたとされている。
元々、地球に暮らす生物の中で人間はかなりの劣等生だった。
力ではマンモスに勝てないし、足だって速くないし、魚みたいに水の中を速く泳げないし、鳥みたいに飛べないし、寒さに弱いし、暑さに弱いし…。
けど、人間は手を使い、道具を作り、火を起こし、地球という星に適応した。
適応することで生き残ってきたのが人間という種なのだ。
この掟は企業や仕事をする全ての人にも当てはまるという。
時代や環境の変化に適応できない企業や人は淘汰されていくのだ。
その観点でいうと、藤澤さんの適応力といったら化け物クラスだ。
(と、僕は勝手に思っている。本人は否定するかもしれないが)
よく藤澤さんは「自分は恵まれているんですよ」なんて言うけど
きっとどんな環境に身を置いても適応して幸せに生きちゃう人なのだ。
そして、藤澤さんは決して弱くもないし、頭もいい。
「強い者で、頭も良くて、環境の変化に適応できる」種の人間、
それがFUJISAWAなのだ。
だから、いい人も寄ってくるし、いい仕事も寄ってくるし、ドラゴンアッシュとも寄ってくるのだ。
そんな藤澤さんだから、
今後何をやろうともいつも幸せそうに仕事をするに違いない。
20年後、藤澤さんに聞いても絶対に言うはずだ。
「僕はめちゃめちゃ恵まれてるんですよ」って。
僕としてもずっとそんな藤澤さんで居て欲しい。
