
名前 | 林田 晋一 はやしだ しんいち |
出身地 | 三重県松阪市飯高町 |
生年月日 | 1983年4月19日 |
主な担当番組 | – 月曜から夜ふかし – 1周回って知らない話 – クイズ!脳ベルSHOW – ヒルナンデス! など |
【取材後記】
林田は500年早く生まれていれば、いい軍師になっていただろうなと思う。
戦に挑む際に戦略を立てる軍師には、2種類のタイプが存在すると思う。
それは「攻撃型」か「防御型」か。
言い換えると「勝つために戦略を考えるタイプ」か「負けないために戦略を考えるタイプ」か。
本人がそう思っていなかったら申し訳ないが、きっと林田は後者だ。
僕が放送作家として物心つく前、
テレビという戦の場でどう戦っていくかなど考えもしていなかった時期から
林田は黙々と策を練っていたんだと思う。
その戦略が正しかったことは結果が証明している。
事実、僕らの世代では1番か2番かと言っていいくらい林田は仕事が増えるのが早かった。
放送作家スクールの同期であり、同い年でもある僕は、
本来なら激しい嫉妬や焦燥感に襲われて然るべきなのだろうが
林田の努力や人間性のおかげで彼に対して嫉妬のような感情を抱いたことはただの1度もない。
色々な番組のエンドロールで「林田晋一」の名前を見るたびに素直に嬉しかった。
放送作家スクールの授業終わり、仲のいい数人で朝まで居酒屋で飲んで、この先の人生がどうなるか不安で不安で仕方がなくて「俺らの人生どうなっちゃうんだろうなぁ…」なんてボヤいていた日のことを思い返すと、
林田の活躍は希望でしかなかった。
インタビューでも伝わったかと思うが林田という人間はそれが飲みの場であったとしても自らの努力を語ることを好まない。
だから林田がどれだけの努力をしてきたか、僕は知らない。
でも、想像はつく。
きっと人知れず悩んで、苦しんで、考えに考えて、行動してきたに違いない。
放送作家になってからの林田のキャラクターは、
強めの毒を吐いて笑いを獲ることもあるのだけど、僕は知っている。
林田が田舎育ちの優しい青年だということを知っている。
林田が親思いで、妻思いで、子供思いで、友達思いな人間だということも知っている。
自分では謙遜しているけど林田が才能があることも知っている。
林田の性格上、きっと仕事が増えた今もテレビの世界で戦っていくことへの不安や心配は持ち続けていると思う。
けど、15年来の付き合いで、林田を「放送作家の初めての友達」だと思っている僕から生意気ながら言わせてもらいたい。
あなたならこれからも大丈夫でしょ?
―そして最後に。
大きくなった時にいつかこの記事を読んで欲しい林田の子供たちへ。
君たちのお父さんが努力家で、頭が良くて、家族思いで、
尊敬すべき父親であることにぜひ誇りと自信を持って欲しいです。
照れくさいかもしれないけど、
たまにはお父さんに感謝の手紙でも書いてあげてください。
1人で読んで泣いてくれるんじゃないでしょうか。
君たちが今、それなりの年齢ならきっと分かっていると思うけど…
林田晋一の子供に生まれて、良かったでしょ?