名前安部 裕之
あべ ひろゆき
出身地大分県出身
生年月日1976年4月3日
主な担当番組– トリビアの泉
– ジョブチューン
– 乃木坂工事中
– ナニコレ珍百景
など

アンケートへの回答をもとにインタビュー取材

Q:放送作家になったきっかけは?

日本テレビの採用試験を受けた際に知り合った
水田伸生さんに秋元康さんを紹介していただいた


深田 僕はこの話は安部さんからお聞きしたことがあるので存じ上げていますけど、かなり特殊な経緯で放送作家になられていますよね。東大法学部卒という話はのちほどお聞きしますので、まずは東大を卒業した後の話からお願いします。

安部 分かりました。僕は学歴で言えば問題ないはずだったんですけど、たぶん自己アピールみたいなのが得意じゃなくて、テレビ局や広告代理店はほぼ全て就職試験を受けたんですけど、ほとんど面接で落ちてしまったんです。それで唯一受かった音楽専門チャンネルのスペースシャワーTVに就職したんです。音楽は好きだったし、東大からスペースシャワーTVに就職っていう経歴も面白いかなと思ってそれなりにやる気を持って就職はしたんですけど、いざ働いてみると全然仕事が出来なくて。

深田 安部さんが仕事出来ないって想像できないですけど、どういう出来なさですか?

安部 まずはよく遅刻する(笑)今は直ったんですけど当時は朝起きれなかったんですよ。あとは僕が配属されたのが営業だったので、コミュニケーション力とメンタルのタフさが必要な仕事だったんですけどそれが僕には無かったんです。

深田 それで先輩から怒られて仕事が嫌になっていったんですか?

安部 いえ、先輩とか同僚はいい人ばかりで「はじめは仕事出来なくても仕方ないよ」っていう感じで優しくしてくれてたんですけど、1人で心が折れて会社に行くのが辛くなっていきましたね。それで入社半年で辞めちゃったんですよ。

深田 その後はしばらくフリーターですか?

安部 3年くらいフリーターをしていました。で、その当時、日テレが一時期だけ特殊な採用試験をやっていたんですけど、フリーター生活も3年経ってこのままだとヤバいぞと思い始めた頃に、その情報を知ったんです。60~70人くらいまで絞った段階でいくつかの班に分かれて、夏休みの期間を使って「番組制作実習」というのをやって、最後に班ごとに30分の番組を制作して発表するっていう採用方式だったんですけど、「これなら自分でもイケるんじゃないか?」って思ったんですね。ただ、その試験は新卒だけが受けられるものだったので年齢をウソついて受けたんです。

深田 それが凄いですよね(笑)

安部 その時、僕は確か26歳なんですけど、僕から見たら他の子たちはまだ現役の大学生ですから実習をやっていても「みんなまだ子供だな~」と思って(笑)26歳の僕は心の余裕が違ったわけですよ(笑)これなら受かりそうだなって手応えがあったんですよ。

深田 その年齢くらいの4、5歳の差は大きいですもんね(笑)

安部 それで13~14人くらいに絞られたところまで残って、あとは社長面接を残すだけとなった時に健康診断があったんです。その時に大学の卒業証明書を提出しなきゃいけなくて「これはここで正直に言うしかないな」と思って「実は年齢ウソついてました」って白状したんです。それで後日、人事担当の人から電話があって「人事部で話し合いをしましたが、採用は出来ないということになりました」と。

深田 まあ、そうなっちゃいますよね。

安部 そしたら、番組制作実習で僕のいた班についてくれていた日テレ社員の水田伸生さんという方から電話があって「中途採用の試験を受けないか?」と言ってくださって。

深田 芦田愛菜ちゃんのドラマ「Mother」とか映画の「舞妓Haaaan!!!」を監督した凄い方ですよね?

安部 そうです。ただ、中途採用の試験も結局落ちちゃって(笑)その後にまた水田さんから連絡があって「君は放送作家が向いていると思うから秋元康さんを紹介するよ」とおっしゃってくれて。それで秋元さんの事務所に所属させていただくことになったんです。

深田 凄い経歴ですよね。そこからどうやって番組に入れてもらったんですか?

安部 秋元さんが放送作家として担当されていた「とんねるずのみなさんのおかげでした」の会議に連れて行ってもらって、1番下っ端の作家として入らせてもらいました。

深田 そこから仕事が広がった感じですか?

安部 確か最初の1~2年は全然広がらなかったと思いますね。「みなさん~」の会議でいつも座る席が酒井健作さんの隣だったんですけど、健作さんの出す宿題がいつも面白いなと思っていて、この人に自分の考えたことを伝えたいと思って、会議中に思いついた番組企画案をメモみたいに書いて渡していたんです。授業中に先生に隠れてメモを回すような感覚で。そんなことをやっていたら僕の考えることを面白がってくれて、健作さんが企画会議に呼んでくれるようになったり、「トリビアの泉」にも呼んでくださったんですよ。そこから色々な仕事に呼んでもらえるようになったので酒井健作さんは恩人ですね。放送作家になって初めて「安部君の考えることは面白いからやっていけると思うよ」と言ってくださった人です。

深田 ちなみに安部さんが知り合った頃の秋元さんは何をやられている時期ですか?

安部 ちょうどAKB48を立ち上げるくらいの時期ですよ。だから、僕はAKB48の1回目の公演も現場で見に行ってますしね。

深田 あの7人しかお客さんがいなかったっていう伝説の初公演ですよね?そこに立ち会ってるって凄いですね!