名前佐藤 大地
さとう だいち
出身地新潟県魚沼市
生年月日 1984年4月19日
主な担当番組– おじゃMAP‼
– モニタリング
– ひねくれ3

アンケートへの回答をもとにインタビュー取材

Q:放送作家になったきっかけは?

・バンドをやるために新潟から上京後、
 バンドを辞めて放送作家を目指し放送作家スクールへ
・在学中の2006年、アルバイト先でサンドウィッチマンさんの
 当時の所属事務所の方と偶然出会い…
 同時に高校時代の友達が東京の制作会社で働いていて…
 など、時の運と人に恵まれました

Q:人生で1番好きだったテレビ番組は?

・「とんねるずのみなさんのおかげでした」
 両親がとんねるずさんが大好きで、
 子供ながらに、とんねるずさんの予定調和を破壊するパワーに
 ワクワクしていた記憶があります


 大地さんが元バンドマンというのは僕は知っているんですけど、いつからバンドやられていたんですか?

 中学2年の時に地元で日本のパンクバンドブームが起きまして。僕もHi-STANDARD、BRAHMANを筆頭に、当時のパンクカルチャーのバンドマン達の音楽や生き方に、衝撃を受け、憧れて、自分もそうなりたい!と…。

 担当はなんだったんですか?

 ギターですね。

 プロを目指して上京するってことは、けっこうギターの腕前が凄かったってことですか?

 いや、10代の頃なんて技術どうこうというより情熱だけですね。「自分ならいける!」っていう謎の自信とボルテージ(笑)毎年、何万人といるであろう「スターになってやる!」って、何の根拠もない自信だけで上京しちゃった輩の1人です。

 (笑)それで上京してからバンドは何年くらいやってたんですか?

 4~5年やってましたよ。

 そんなに!?思ったより本格的にやってたんですね。地元の友達とバンド組んでたんですか?

 上京してから「BANDやろうぜ」という伝説の雑誌で、メンバー募集してバンドを組んだり、その後、地元時代から一緒にバンドをやっていた友達と組んだり…。一応僕がリーダーで月4~6回ぐらいライブハウスに出て、主催のイベントもやりました。

 へぇ~、凄いですね~。で、なんでバンドを辞めることになったんですか?

 メンバーと喧嘩して僕がバンドを抜けたんです。メンバーの遅刻が許せなくて(笑)「スタジオ借りるお金は、全員で割り勘だから、ひとりが遅刻すると配分が…」って(笑)

 さすが、真面目ですね(笑)

 一旦辞めた時に、自分のバンドに対するモチベーションが中途半端に感じて、このままダラダラ続けても意味がないと。22歳か23歳だったと思いますけど…。あと当時、バンド時代に作った借金が200万ぐらいあって、半泣きでスラムダンク全巻を売り、吉野家で牛丼を食べるような極限状態だったので(笑)何か新しいことに挑戦して死ぬ気で頑張らないとヤバイ!と、放送作家スクールに通い始めたんですよ。

 放送作家スクールってどこのやつですか?

 ワタナベエンターテインメントの放送作家コースですね。

 あー、そうなんですか。アンケートに書いてありますけど、サンドウィッチマンさんの事務所の方と知り合って、ライブとか手伝うようになった感じですか?

 そうです。当時、サンドウィッチマンさんがM-1で優勝する2年前くらいの時期だったかと思います。

 当時はまだ世間的にはそこまで有名ではない芸人さんだったと思いますけど、出会った時に「面白いな」って思いました?

 もちろん、思いました。どこの馬の骨かも分からない僕にも本当に優しく接して頂いて、それでいて圧倒的に面白いという。それはもう心を掴まれますよね。何度か、富澤さんがネタを作る現場に居させてもらったことがあったんですけど、「天才ってこういう人のことを言うんだな」って、衝撃でした。

 お~、やっぱそう思いましたか。

 サンドウィッチマンさんのネタって、小学生の子供からおじいちゃんおばあちゃんまで爆笑するじゃないですか?さらには、僕ら30代の男も腹から笑える。ある一定の世代や性別ではなく、全世代が本気で笑えるネタを生み出し続けるってテレビで言うと視聴率20%の番組を量産しているのと同義で、とてつもない偉業だと思います。その現場で勉強させて頂いた経験は、今でも僕の誇りですね。

 あ~、なるほど。大地さんは放送作家として1本目の番組って何なんですか?

 CSフジでやっていた「お台場お笑い道」という番組ですね。カンニング竹山さん、バナナマンさん、アンタッチャブルさん、アンガールズさんなどが出演者で、制作チームは当時の「とんねるずのみなさんのおかげでした」のスタッフがやっていた、お笑いストロングスタイルの番組で。放送作家も、小川浩之さん、北本かつらさんといったレジェンドの方々がいらっしゃいました。デビュー番組が、超がつくほどのお笑い至上主義の番組で、イイ意味で、こんなにクレイジーな大人の方々が沢山いる職場って最高だなと感じたのと、そこで放送作家という仕事の面白さを痛感できたからこそ、今も続けていられると思います。

 それは豪華な番組ですね。僕のイメージでは、大地さんは「おじゃマップ」育ちという認識があるんですが。

 そうですね、僕の放送作家人生において、とても大きな番組ですね。「おじゃマップ」が生まれる企画会議の段階からその一員として参加させて貰い、香取慎吾さんという国民的スターを座長に、プライム帯で特番をやり、ゴールデンで特番をやり、そして、ゴールデンのレギュラーになるという、あの一連の凄まじい高揚感は今でも忘れられません。

 ゴールデン昇格までたどり着く番組って限られますもんね。

 「おじゃマップ」がゴールデンに昇格する時、PRで渋谷の町を「おじゃマップ」のビジュアルが占拠したんですよ。それを1人で見にいって、大興奮して2時間ぐらい不審者のようにウロウロしましたよね。テレビに関わることの醍醐味と喜びを「おじゃマップ」に教えて貰いましたね。

 ちなみに「おじゃマップ」をやってみての、香取さんってどういう印象ですか?

 僕なんかが印象を語るのもおこがましいですが…あくまで香取さんの1ファンとして思うのは、「初対面の人間の面白さを瞬時に引き出す力」が、天才的だと個人的には思います。

 へぇ~。

 香取さんと一般の方々が触れ合う企画が多かったのですが、香取さんは瞬間的に、その人が持つ人間的魅力をグイっと引き出してくれるんです。絡んだ全ての人を笑顔にさせる、魔法使いみたいでいつも感動させて貰いました。