名前興津 豪乃
おきつ ひでのり
出身地千葉県
生年月日1975年5月22日
主な担当番組– ロンドンハーツ
– 和風総本家
– 家、ついて行ってイイですか?
– 水曜日のダウンタウン

【取材後記】

僕は、興津さんみたいな放送作家になりたかった…

過去形になっているのはもちろん僕の問題。
どこかのタイミングで「興津さんみたいにはなれない」と早々に悟ったのだ。

僕が放送作家を始めて1~4年目ぐらい、
会議でほとんど発言できずに悩んでいた頃の僕には、
「シルシルミシル」の会議で見る興津さんは輝いて見えた。

ご本人が言うように興津さんは会議で言葉を多く発する人ではなかった。

しかし、たまに発言した時のアイデアは毎度面白く、宿題のネタ案も毎度面白い。

発言の回数は少なくとも、
放送作家としての圧倒的な存在感を興津さんは放っていた。

相手がどんな若手であっても他人のアイデアを傷つけず、
まるで合気道の達人のようにそのアイデアをさらに面白くして返す興津さん。
1年目のADにすら敬語で話す興津さん。
いつも針の穴を通すかのように丁寧な言葉をつむぎだす興津さん。

そう、何十年かかったって僕がこんな風になれるわけがないのだ。
今では「興津さんみたいになりたい」と思っていた過去の自分を強く恥じている。

想像通りと言えば想像通りだったのだが、
取材の後半、興津さんがポロリとこんなことを言った。

「けっこう人に気を遣ってしまうタイプなので
それで疲れちゃうことがあるんですよね…」

この人の圧倒的な才能や人柄は、この“気遣い”が根幹なのだと思う。

僕ごときがこんなことを言うのはおこがましいのだが、
興津さんの放送作家人生は、
最高に楽しかったと同時に、気苦労の絶えない時間だったのではないかと思う。

本当に、心底尊敬する。

仕事仲間とあまり飲みに行かないのも、
「議論するという目的がある会議ならまだ大丈夫なんですが、
フリーで話す飲みの場では、
自分のダメな部分が露呈してしまうのが怖いんですよ」
だそうだ。

“気遣い”もここまで来ると怖い。
やっぱり僕がこんな人になれるわけがない。

ただ、この取材をきっかけに僕は1つの“権利”を得た。

「1回でいいので放送作家で集まる飲み会に参加してください」
という約束を半ば強引に取り付けさせてもらったのだ。

この飲み会は、きっと僕にとって特別な夜になるはずだ。

そしてその夜、酔ってしまった僕は不覚にもまた夢を見てしまいそうだ。

「やっぱり、興津さんみたいになりたい…」と。

深田憲作