
Q:人生で1番好きだったテレビ番組は?
電波少年
深田 僕だけじゃなく、色んな放送作家が、興津さんのことを“謎多き人”だと思ってるんですけど(笑)放送作家仲間と飲みに行くこともほとんどない方という印象ですし。
興津 そうですか!?確かに誰かと飲みにいくことはほとんどないですけど、全然、謎じゃないですよ(笑)
深田 いや、間違いなく謎なんですよ(笑)小さい頃はどんなキャラクターでした?例えばイケてるグループ、イケてないグループでいうと。
興津 自分で言うのもなんですけど、クラスの中心にいるタイプでしたね(笑)
深田 それ誰かのツイッターで見たことあるんですよね。ガキ大将みたいな感じだったって。
興津 あー、出た(笑)何年か前に、僕の小学生時代の友達が関わってたラジオ番組にTBSの藤井健太郎さんと一緒に呼んでもらったことがあるんですけど、その現場で友達が藤井さんに僕の幼少期のバリバリに肥満児でチョケてる写真を見せたんですよ。それを藤井さんが面白がってツイートしたんです(笑)
深田 どういうタイプの子供だったんですか?
興津 サッカー部だったってことと、中学がものすごいヤンキー学校だったんですけど、ヤンキーがみんな小学校の頃からの友達だったこともあって、なんとなく僕もクラスの中心にいるような感じでしたかね。僕はヤンキーというより、BOOWY、BUCK-TICKドハマリ中坊で、ジェルとダイエースプレーで髪を固めている系みたいな。男子は笑うけど、女子は1ミリも笑わないようなことを言ったりやったりするタイプでしたね(笑)あと、高校時代は僕、バンドやってました。
深田 え!?そうなんですか!?
興津 ヘビーメタルのバンドやってましたよ(笑)「メタリカ」と「パンテラ」っていうバンドのコピーバンドで、僕はベースをやってました。
深田 音楽好きっていうのは知ってましたけど、バンドやってたっていうのはかなり意外です。
興津 僕、オズマに入った頃はまだロン毛でしたからね。
深田 えー!(笑)
興津 今、考えると過去は総じて激イタですよ。そういう趣味も全部、放送作家を教えてくれた友達の影響なんですけど、その友達がいなかったら絶対にここにはいませんし、きっと放送作家にもなっていないです。一方、その友達は40も半ばに差し掛かった今もニートなんですけど。
深田 1人の友達によって人生が決まってるってすごいことですよね~。
今から10年ぐらい前の話ですが、早稲田大学で行われた大御所作家さんが出演されるイベントに参加しました。その時、興津さんも一番若手の作家として出演されていました。放送作家志望だった僕は、イベント終了後に出演者の出待ちを行い、ペラ1の企画書10枚ほど大御所作家に渡しました。
その企画書は、大御所作家から興津さんに渡され、大御所作家は無言で立ち去って行きました。アプローチはダメだったか・・・と諦めていましたが・・・。翌日、興津からメールが届き、僕が出した企画書は丁寧に添削されアドバイスもいただきました。
その後、運良く作家になり10年ほど活動し現在は転職しましたが、興津さんの親切な対応に今でも感謝しております。作家として10年ほど、たくさんの作家さんを見てきました。その中でも僕は、興津さんは作家としても人間としても尊敬に値する人だと思っています。
今後も興津さんが担当する番組、楽しみにしています。
下ネタ番組は僕も参加させてくださいw