名前興津 豪乃
おきつ ひでのり
出身地千葉県
生年月日1975年5月22日
主な担当番組– ロンドンハーツ
– 和風総本家
– 家、ついて行ってイイですか?
– 水曜日のダウンタウン

アンケートへの回答をもとにインタビュー取材

Q: 放送作家になったきっかけは?

鮫肌文殊さんに憧れて


田 この「(放送作家の)鮫肌さんに憧れて」っていうのは?

津 順を追って説明しますと、小学校からの親友でサブカルとかテレビに造詣が深い友達がいまして、僕は彼からいろんな影響を受けていたんです。ある時、その友達から「放送作家という職業がある」と聞いて、番組のエンドロールを注目して見るようになって。その頃、「電波少年」が好きだったんですけど、あの番組の作家の方々って特徴のある名前が多かったんですよ。小山薫堂さん、そーたにさん、海老さん、都築さんって。

田 あー、言われてみればそうですね。

津 その中でもひと際目立っていたお名前が「鮫肌文殊」さん。で、さっき言った友達の影響で僕は洋楽も好きだったんですけど、当時、洋楽雑誌をいろいろ漁っている中、鮫肌さんが初期のエルビス・コステロについてのコラムを書いていた雑誌があって、それを読んで「放送作家ってテレビだけじゃなくて音楽について語る仕事もできるんだ!」って思って。さらに当時、電波少年が好だった流れから松村邦洋さんの「オールナイトニッポン」も聞いていたんですけど、松村さんの横で笑っていたのが、番組の構成で入られていた鮫肌さんだったんですよ。

田 はい。

津 そのラジオの中で、鮫肌さんのパンクバンド「捕虜収容所」の曲が流れたことがあって「放送作家はラジオで自分の曲まで流していいのか!?」と驚愕しまして。そんなこんなで、鮫肌さんをきっかけに「放送作家って面白そうだな」と、憧れを募らせていったんです。

田 その後、興津さんは大学時代に放送作家セミナーに行かれてますよね?実は僕、そのセミナーの後輩なんですよ。

津 えっ、そうなんですか!?

田 日テレ学院ですよね?

津 確か、僕が行ってた頃は「日本テレビエンタープライズ」っていう名前だったかと思います。

田 あのセミナーって制作会社の「オフィスぼくら」が主催していて、興津さんの頃はオズマという放送作家事務所とオフィスぼくらが共同でやっていたんですよね?

津 そうですそうです。だから僕は「流れで気づいたら放送作家になってた」っていう人と違って、放送作家になりたくて仕方がなかったタイプです。気づいたら作家になっていた町田さんにイジられるパターンのやつです(笑)

田 セミナーをきっかけにオズマの方から声をかけられて、所属することになったんですか?

津 はい、大学3年の時から放送作家見習いみたいなことを始めて、同期が自分でどんどん仕事を取ってくる中、僕は全然食えなかったので、3~4年ぐらいは事務所に寝泊まりしてましたね。

田 たぶん、そのセミナーって1クラスに40~50人いましたよね?その中から何人がオズマに引っ張られたんですか?

津 僕を含めて3人ですね。

田 あ~、やっぱり凄いですね。その中から選ばれる才能があったってことですよね。

津 いやぁ、自分で生活できるようになるまで、だいぶ時間がかかりましたよ。

田 ちなみに僕は日テレ学院で「月曜から夜更かし」をやっている林田晋一とか、「めちゃイケ」とか「ENGEIグランドスラム」をやっている中藤洋っていう放送作家が同じクラスだったんですよ。

津 えー、クイズ脳ベルSHOWでお馴染みの林田さんも!黄金世代じゃないですか!

田 黄金世代って(笑)オズマといえば中野俊成さんがいらっしゃいましたよね?

津 そうです。中野さんにはその頃からずっとお世話になってますね。今、考えれば、当時は中野さんも30歳くらいの若手なんですけど、貫禄も説得力もめちゃくちゃあったなぁ

田 中野さんってどういう先輩でしたか?

津 中野さんは本当にずっと優しいんですよね。あの穏やかな感じは当時からずっと変わってなくて。仕事もたくさん紹介してもらいましたけど、僕がいくらダメでも怒られた記憶はないですし、「俺の顔に泥を塗るな」みたいなことも絶対言わない人でしたね。ご飯にもよく連れて行ってもらいしましたし、こういうやり方は良くないとか、どういう作家が尊敬すべき人なのかとか、僕が思う放送作家の理想や在り方みたいなものは、中野さんの影響をかなり大きく受けていると思います。

田 事務所に入って、最初は先輩の仕事のネタ出しをしていた感じですか?

津 そうですね。「マジカル頭脳パワー」のクイズを考えたり、「ボキャブラ」のダジャレを考えたりしてました。でもそれは会議にも出ない大勢の若手たちが、紙だけでネタ出しをするレベルの仕事ですけどね。

田 ちゃんと会議に出て、エンドロールにも名前が流れるという意味で、放送作家としての1本目の仕事は?

津 深夜の「ココリコ黄金伝説」ですね。

田 あー、黄金伝説なんですか!?立ち上げからですか?

津 はい、当時はテレビ朝日の平城さんが演出で、台本とかナレーションで実働する若手作家を探していたみたいで、それこそ中野さん経由でオズマに声がかかって、僕が入れていただきました。

田 いざ、番組に入ってみてどうでした?放送作家としてやっていけると思いました?

津 いや~、全然思えなかったです。ネタは通らないし、会議ではしゃべれないし。「作家はしゃべらなきゃダメだよ」ってよく注意されましたね。正直、今でも会議でしゃべるのは苦手ですけど(笑)

田 では、興津さんは放送作家の基礎は、「黄金伝説」で作られた感じですか?

津 そうですね。高須さんと鈴木おさむさんという放送作家界のスーパースターが2人もいましたから。お2人の発想はとても勉強になりましたし、ディレクターさんには台本とかナレーションをよく振ってもらったので、基礎を身に着けることができたのは、あの番組のおかげです。