

名前 | 小林 仁 こばやし ひとし |
出身地 | 京都市 |
生年月日 | 1971年2月28日 |
主な担当番組 | – 明石家電視台 – ごぶごぶ – あさパラ! – 真夜中市場 など |
Q:自分がディレクターだったら放送作家は誰を呼ぶ?
●たむらようこ
●沢野緑
●友光哲也
Q:仕事を始めてから1番衝撃を受けたディレクターは?
数々、先輩のディレクターさんたちには影響も受けましたが
一緒にガッツリ組んでモノ作りをして切磋琢磨した関係で言うなら
MBSの森貴洋ディレクター(現在はP)
Q:テレビ史上、最高の企画だと思うのは?
●幸せ家族計画
●めちゃイケ「濱口ドッキリ(生放送・大学受験)」
●サタデープラス「いきなりかあちゃん弁当」〜母が書いた手紙を息子が朗読
●ゴッドタン「ネタギリッシュナイト」
深田 このMBSの森さんという方は?
小林 当時、「ロケみつ」という番組の総合演出だったディレクターですね。今は「痛快!明石家電視台」のPでご一緒させてもらっています。
深田 桜 稲垣早希さんがブレイクした番組ですよね。どんなディレクターですか?
小林 ものすごく理論派ですね。感覚で考えるんじゃなくて、めちゃくちゃ先まで計算してロケも編集もやるディレクターだと思います。ロケも下調べとかすごく入念ですし、ナレーションの言い回しもかなり厳しいですね。下につくADが大変なディレクターだと思いますよ(笑)
深田 放送作家目線で会議で見ていて、そう思うディレクターっていますよね(笑)「ADさん大変だろうな~」っていう。資料作りとか段取りとかめちゃくちゃ細かい人いますもんね。総じてそういう人は優秀ですけど。
小林 そうなんです。かなり優秀でした。ディレクターと放送作家って相性だと思いますけど、僕はすごく森さんとは相性が良かったと思っています。向こうはどう思ってるか分からないですが(笑)「ロケみつ」は、最初は視聴率的に瀕死だった「なまみつ」のリニューアル要員として急遽2人で担当して、ゼロから番組を考え直して、少ない予算で必死で考えてやったら、話題になって、視聴率もいい結果になり、放送される局も増えましたから、自分としてはかなり思い入れの深い番組です。攻めたアイディアを提案しても精神は残し、キチンと現実に落とし込んだりするのは素晴らしかったですね。
深田 具体的に衝撃を受けたことって何ですか?
小林 「ブログ旅」ってロケ企画はシーズン①が関西縦断、シーズン②が四国一周、シーズン③が西日本横断だったのですがシーズン④でヨーロッパ横断したんです。「ヨーロッパに行きたい!」と言ったのが森さんでした。関西のローカル深夜の低予算番組で月1〜2回ペースでヨーロッパロケをするなんて発想になかったです。「電波少年」は演者もディレクターも行ったっきりでしょ?それは理解できるんですけど、コッチは様々な都合で、演者もディレクターも5日くらいロケして、帰ってきて、また行って続きからロケ再開って、行ったっきりよりも逆にしんどかったと思うんです。帰ってきて編集もするし体力的にもディレクター的にもこんなの前代未聞ですよ。コレを「やりたい!」って言い出して実行してましたから、これは衝撃的でした。
深田 そんな形式で番組作れるんですね〜
小林 でも、この苦労が報われて「ロケみつ」は関西ローカル深夜番組だったのにTBSを含む日本のほぼ全域で流れて、最終的には海外で賞を獲るところまで行きました。その全てを演出していたのが森さんです。
深田 あ~、その体験が地方局から番組を当てたいという熱量につながってるんですね。
小林 そうかもしれないです。
深田 小林さんは関西で色々なテレビマンとお仕事されてきたと思いますが、他に印象に残っている方はいますか?
小林 今、一緒にやらせてもらってる番組のディレクターさんは本当に皆さん優秀で、特に局の若いディレクターさん達「ごぶごぶ」のMBS平岡さん、「キメツケ!」のKTV塩見さん、「あさパラ!」のYTV上田さん、「チャント!」のCBC槌田さんなどは将来が楽しみです。先輩の方だと今の毎日放送の社長の三村景一さんっていう方は、放送局の社長としては珍しい「制作マンが長かったタイプ」なんです。関西では有名な「ちちんぷいぷい」という番組を作られた方なんですよ。その三村さんがおっしゃった言葉を今でも大事にしているんですけど「作家はめちゃくちゃなことを言ってくれ」と。
深田 ほぉ。
小林 「会議で話し合った結果、無難なレベル50になるのはいいけど、最初から作家がレベル50のアイデアを出さないで欲しい」と。「最初の案はレベル100の無茶なことを言って欲しんだ」と。「50はもちろん、60や70はディレクターでも思いつく。ディレクターが思いも及ばない、むちゃくちゃ言いよるな〜!でもオモロイな〜!を言うてくれ!それをディレクターが泣く泣く削って現実レベルにするんや」と、おっしゃっていて、「なるほど〜!」と思いましたね。最初から成立を考えて無難な案を出すのはやめようと。
深田 キャリアを積めば積むほど無難に成立してしまってる案を出すようになってしまうところはありますよね。正直、自分も心当たりあります。
小林 チーフ作家になると、最終的にケツ拭く役目もあるので無難な思考もよく使うのですが、ふと、三村さんの言葉を思い返して自分に言い聞かせてますね。あと、これも大阪かも知れませんが、ある先輩作家が言ってた「会議は笑わせてなんぼ」っていう意識も持っているつもりです。若い頃は「自分が前に同じような案を出したのに、なんであの先輩が出したら通るんや。宿題は無記名にしてくれよ」とか思ってたんですけど、今となっては「この人が言ったら面白いと感じる」と思わせなきゃいけないって思うようになりましたね。「同じこと言ってもこの人が言ったら面白そうに感じる」って凄いことだと思うので。
深田 それは耳が痛い言葉ですね(笑)たぶん、放送作家はみんな若い頃に、「宿題、無記名にしてくれ!」って1度は思ったことあるはずですから(笑)そう思ってるうちはダメなんでしょうね~。
小林 結局は「人」なんですよね。あと、会議で言うと、若い頃には先輩から「宿題をプレゼンする時、書いた内容をそのまま読むな」っていうのは、よく言われました。「下見てしゃべるな。漫才師が下向いて漫才やるか?お客さん見てるやろ?」と。会議の進行をしているプロデューサーとか総合演出の反応を見ながら「ここもっと話すべきやな」とか「このネタは興味なさそうやな」って判断して、プレゼンを変えていかなきゃいけないっていう。そういう教育は色んな先輩からしていただきましたね。
深田 勉強になります(笑)