
| 名前 | 内村 宏幸 うちむら ひろゆき |
| 出身地 | 熊本県人吉市 |
| 生年月日 | 1962年6月22日 |
| 主な担当番組 | – 夢で逢えたら – オレたちひょうきん族 – ダウンタウンのごっつええ感じ など |
アンケートへの回答をもとにインタビュー取材
Q:放送作家になったきっかけは?
デビューまもないウッチャンナンチャンと一緒にネタを作っていて、
彼らがメインでやる深夜番組に作家として入った。
Q:人生で1番好きだったテレビ番組は?
8時だよ!全員集合
ムー一族
深田 この取材にあたって改めて読ませていただいたんですが、2016年に内村さんが出されている「ひねり出す力」という本に、“放送作家になったきっかけ”は書かれていたので、今回のインタビューでは割愛させていただきますね。取材時間にも限りがありますし、今日は出来るだけ本に書かれていないことをお聞きしたいので。
内村 わかりました。確かにその辺のことはだいたい本に書きましたからね。要は、放送作家になったのはいとこ(内村光良)のコネです(笑)
深田 (笑)
「笑いの殿堂」という番組が放送作家デビューなんですよね?
内村 そうです。フジテレビの深夜番組ですね。
深田 ですので、まだ「ひねり出す力」を読まれていない方は是非、購入して読んでいただければと(笑)「夢で逢えたら」「ごっつええ感じ」「笑う犬」「サラリーマンNEO」など、伝説の番組のエピソードもたくさん書かれていて、とても面白いですから。テレビ関係者以外が読んでもタメになる本だと思いますし。
内村 よろしくお願いします(笑)
▲『ひねり出す力 ~“たぶん”役立つサラリーマンLIFE!術~』
| 名前 | 内村 宏幸 うちむら ひろゆき |
| 出身地 | 熊本県人吉市 |
| 生年月日 | 1962年6月22日 |
| 主な担当番組 | – 夢で逢えたら – オレたちひょうきん族 – ダウンタウンのごっつええ感じ など |
Q:今まで自分が通した中でベストな企画は?
コントですが「笑う犬の生活」という番組でやっていた
「関東土下座組」というキャラクター
Q:ディレクターやプロデューサーにアピールしたいことは?
・長いものから短いものまで、コントが書けます。
・ベテランですが、たぶん接しやすいです。
・マセキ芸能社の芸人とは親しいつもりです。
深田 内村さんといえば、数々のコント番組をやられてきて、数々の名作コントを生み出してこられたと思いますけど、その中でご自身でベストと思われているのが「関東土下座組」なんですね。
内村 これは本にも書いたんだけど、このコントの案を出した時に、会議で誰も賛同してくれなかったんですよね。ただ、1人だけ「面白い」って言ってくれた人がいて、それが内村光良君だったの。それで「演者が面白いと思ってるならやってみようか」ってことになって、やってみたら面白かったっていう。
深田 これお聞きしてみたかったことの1つなんですけど、内村さんくらい長年コントに携わってきた方でも、どんなコントが当たるかっていうのは全然分からないものなんですか?
内村 うん、やってみるまで全然分からない。
深田 じゃあ、台本の時点ではめちゃくちゃ面白いと思っていたのに、やってみたらイマイチだったっていうのもたくさんありますか?
内村 もちろん、たくさんあります。「台本ではイマイチだと思ってたけど、やってみたら面白かった」っていうのと同じくらいの数、「台本ではめちゃくちゃ面白いと思っていたけど、やってみたらつまらなかった」っていうのもあるね。台本を読んだ時点でみんなが笑っていたら「危険だな」って思ったりするし。
深田 あ~、そうですか。内村さんが分からないなら、本当にやってみるまで分からないものなんですね。僕は「笑ってはいけない」を10年やらせてもらっているんですけど、当日の現場のリハで気づくことが多いんですよね。「あ、ヤバイ!これウケないわ…」って。現場に立って動きつけてやってみたら、それがウケるかウケないか、空気で分かったりするんですよね。なんで台本の段階で気づけなかったんだろうっていつも思うんですけど。
内村 そうだよね。
深田 ちなみに、内村さんが得意なコントっていうはあるんですか?
内村 僕が書くのは日常的なコントが多いですね。ファンタジーよりは身の回りで起きたことを笑いにすることが多い。
深田 噂で聞くんですけど、内村さんって今でもコント案の宿題出されてるんですよね?
内村 うん、今でも毎週コントの設定案を3つ出してる(笑)
深田 それすごいですよね~。コント台本も書かれるんですか?
内村 うん、もちろん書く。
深田 すごいな~。本来なら下の作家が書いたコントを選んで、見せ方とかを会議で話すだけでいい立場の方だと思うんですけど。
内村 「笑う犬」が始まった頃、僕は30代後半で、キャリア的にも会議の中で上の方だったし、それまでにもそこそこコント番組を経験してきていたし「若手作家の書いたコントを選ぶ立場になるのかな?」って思ってたけど、そんなことは全然なくて(笑)若手と同じように宿題を振られて、コント台本を書いて、っていうのが今まで続いてる(笑)もちろん自分自身、プレイヤーで居たいっていう気持ちもあるけど。
深田 それは信念として「自分は書き続けよう」って決めてるんですか?
内村 信念ってこともないけど、書いていないとやっぱり鈍ると思うし「自分でコントを書きたい」という欲もあるかな。
深田 これは気安く聞いていいのか分からないですけど“コントを考える能力”って、年齢を重ねることで発想が鈍るのか?それとも引き出しが増えて色々なコントを生み出せるようになるのか?どうなんでしょうか?
内村 自分の中でのパターンが出来てくるから、1つアイデアが浮かんだら、それを形にするまでのスピードは、年齢を重ねるほど早くはなりますね。逆に、発想という意味では、ある程度の年齢からは、斬新なものは出なくなってきたっていう感じはあるかな。やっぱり自分の中にあるものからしか発想は出ないから、同じような発想ばかりが出てきちゃうようにはなる。
深田 「斬新な発想が出なくなってきたな」っていうのは、どれくらいの年齢から思い始めました?
内村 「笑う犬」が終わる頃、40歳を過ぎてから思うようになったかなぁ。
深田 では、発想のピークは何歳頃でした?
内村 30代後半かな~。
深田 当時は自分でも「けっこう出るな~」って思ってました?
内村 30代後半っていうのは「笑う犬」をやっていた頃だけど、自分が出したコント案が採用される数は多かったなっていうのはあるね。今思えばあの頃がピークだったのかなって。
深田 内村さんはとても温厚そうに見えるんですが、内村さんでも若手の頃は「俺は面白い!」みたいな、尖った気持ちってありました?
内村 それは誰でもあると思うけど、僕もあったね(笑)30歳くらいまでは調子に乗ってたかな~。自分のことを「天才じゃないか?」って思うときはあったよね(笑)
深田 内村さんはそういうタイプに見えないですけど、やっぱりあるもんなんですね(笑)若い頃に同世代の放送作家で意識していた人はいますか?
内村 僕は「笑いの殿堂」っていう番組で放送作家デビューしたんだけど、「めちゃイケ」とかやっていた伊藤正宏君もその番組がデビューだったの。そこまで過剰に意識していたってわけではないけど、周りからも“ライバル”みたいに見られていたし、伊藤君のことは「同期で面白い作家がいるな~」っていう感じでは見てたね。
深田 伊藤さんは僕も「めちゃイケ」でご一緒させてもらっていたんですけど、伊藤さんの書くコントは当時から面白かったですか?
内村 うん、面白かったよ。
深田 あ~、やっぱりそうなんですね。作家としてのタイプはどうでした?
内村 僕とは全然違うタイプだったね。伊藤君は政治とか経済とか社会問題をネタにするのが得意な印象だったけど、僕はそういうのは全然無いから。
深田 では先輩作家で「この人すごいな」と思った方はいますか?
内村 「夢で逢えたら」っていう番組で、上の作家に廣岡豊さんと清水東さんっていう2人がいらっしゃって、直接何かを教えてもらったわけではないけど、2人からはコントの考え方とか、色々学ばせてもらいました。
深田 あ~、僕はお会いしたことないですけど、「ウリナリ」とかのエンドロールを見て「よく見る名前の2人だな~」って素人ながらに思ってました。では、下の世代で内村さんがコントが面白いと思った作家っていますか?
内村 下の世代だと「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」で一緒にやっていた渡辺真也っていう作家だね。
深田 あ~、僕は「シルシルミシル」「めちゃイケ」でご一緒してたんで知ってます。
内村 下の世代で初めてコントが面白い作家だなと思ったのは渡辺君だったね。「やるやら」は彼が放送作家デビューして間もない頃だったと思うけど。
深田 渡辺真也さんはどんなコントを書かれてました?
内村 うーん、言葉でうまく言えないけど、漫画っぽい奇妙なコントっていうか。僕が書くのとは全然違うコントを書いていたな~。
深田 狭いところを突くような感じですか?
内村 そうだね。そうかもしれない。
深田 あとは「コント番組のテレビ局による違い」をお聞きしたいんですが。テレビ局によって違いとか特色はありますか?
内村 うん、局によって違いはあるね。やっぱりコントのノウハウはフジテレビが抜群にあるなと思う。今は少なくなったけど、コントを昔からやってきた歴史があるから。ディレクターだけでなく、大道具さん、照明さん、カメラマンさん、スタッフみんながコントのノウハウを分かっているから、打ち合わせでも話が早いし、優秀な人が多いっていう印象はあります。コント経験がないスタッフがやると、セットがやたら大きすぎて笑えないとか、照明がドラマっぽくて笑えないとか。そういうのはあるよね。
深田 照明の当て方1つでも全然変わるものなんですね。
内村 ドラマっぽい照明の当て方をすると笑えないなとかはあるよね。もちろん、これは僕の感覚的なものだし、フジテレビ育ちだから、フジテレビのやり方が正しいと思ってしまっている部分もあるけど。
| 名前 | 内村 宏幸 うちむら ひろゆき |
| 出身地 | 熊本県人吉市 |
| 生年月日 | 1962年6月22日 |
| 主な担当番組 | – 夢で逢えたら – オレたちひょうきん族 – ダウンタウンのごっつええ感じ など |
Q:仕事を始めてから1番衝撃を受けた放送作家は?
そーたにくん
Q:仕事を始めてから1番衝撃を受けたディレクターは?
片岡飛鳥 星野淳一郎 小松純也
Q:自分がディレクターだったら放送作家は誰を呼ぶ?
名前を挙げたらキリがないです。
現在一線で活躍している人で、
自分の考えをうまく汲み取って的確なアイデアを出してくれる人。
深田 そーたにさんと初めて仕事をされたのは何の番組ですか?
内村 僕は放送作家デビューからずっとフジテレビで仕事をしてたんだけど、「ウリナリ」の前身番組の「ウンナン世界征服宣言」っていう番組で、初めて日テレで仕事をしたんだよね。その番組の演出が「電波少年」で有名な土屋敏男さんで、土屋さんが呼んだ作家が都築君、おち君、海老君、中野君、そーたに君といった人たちだったの。そこで、それまでやっていたフジテレビのコント作家とはまるで毛色が違うタイプの作家たちと出会って、カルチャーショックを受けた感じだったね。「企画を考える能力ではこの人たちには絶対に勝てないな」って思ってた。
深田 へぇ~。
内村 で、「ウリナリ」では最後にキャラクターコントをやっていたんだけど、僕はそのコントコーナーの担当だったの。
深田 僕は「ウリナリ」がめちゃくちゃ好きだったんで覚えてます。ホワイティとかやってたコーナーですよね。
内村 そう。僕としてはそのコントのコーナーで頑張らなきゃいけないと思ってやっていたんだけど、ある時に、理由は忘れちゃったけど、そーたに君もコントを書くことになって。「この人はどんなコントを書くのかな?」って思いながら、いざ台本を見たらそれがめちゃくちゃ面白くて。「コントもこんな面白いのが書けるのか!?」って衝撃受けたんだよね。
深田 へぇ~!
内村 勝手に「この人たちはコントは書かない作家」って思ってて、畑が違う作家だと思ってたんだけど「コントもこんなに書けるんなら勝つとこないな」って思ったね(笑)本人は覚えているか分からないけど、僕の中では衝撃だったね。「世の中には凄い人がいるもんだな~」って。
深田 そうですか~。すごい話ですね。では、ディレクターのお話に移らせていただきますが、片岡飛鳥さんとは「やるやら」で出会われているんですよね?
内村 そう。
深田 僕も「めちゃイケ」でご一緒してますので少しは存じ上げてますが、どんな人でした?
内村 よく言われる飛鳥の超長い会議は、半分は僕のせいだって言われてるから申し訳ないなって感じだよね(笑)
深田 内村さんのせいなんですか?(笑)
内村 僕も放送作家になりたてで、飛鳥もディレクターになりたてで、2人とも雑談が好きだったから、2人でやる打ち合わせの冒頭は2時間ぐらい雑談してたね(笑)
深田 すごいですね(笑)飛鳥さんとのエピソードで覚えていることはありますか?
内村 長い会議ってことで覚えてるのは、あるドラマのパロディコントをやる時に、打ち合わせでそのドラマを1話から全部見たってのがあったね(笑)朝までずーっと会議室でドラマ見るのよ(笑)
深田 すごいですね(笑)僕はその感じは少しわかりますけど(笑)
内村 当時の飛鳥は本当に寝ずに仕事やってたね。「やるやら」のコント収録で、オチまでいっても「ディレクターの飛鳥のオッケーの声が来ないな」って、
みんな不思議に思ってたら、飛鳥がサブ(副調整室)で泡吹いて倒れてたってことがあったよ(笑)ずっと寝てなくて、コントの収録中に限界が来たっていう(笑)
深田 (笑)
内村 そんな状態なのに翌日、北海道のロケに飛鳥が「行く!」って言うから、みんなで必死に止めた記憶があるよ(笑)
深田 やっぱバイタリティーがとんでもないですね(笑)
内村 飛鳥との長い打ち合わせも、僕は楽しいと思ってたんだけど、今思えば周りのADさんとかは嫌だっただろうね(笑)それに当時の僕はフジテレビの長い会議が当たり前だと思っていたから、その後はどんな会議も耐えられたよね(笑)
深田 飛鳥さんの独自の演出は当時からもう出来上がってました?
内村 それは出来上がっていたと思う。フリからオチまでちゃんと全て見えないと会議が終わらないっていう。
深田 なるほど。あと、星野淳一郎さんも伝説のテレビマンですよね。「27時間テレビを作った人」って噂で聞きますけど。
内村 そうだね、16歳くらいからテレビ局で働いてたって人。フジテレビの社員ではないんだよね。
深田 星野さんとは「夢で逢えたら」でご一緒されてたんですよね?
内村 そう。星野さんがバンドのコーナーとショートコントを演出されてた。
深田 ディレクターとしてどんな印象ですか?
内村 几帳面かなぁ。片岡飛鳥が師匠と思っている人だからね。コントのことなら全てわかっているっていう感じだった。身長も190センチくらいで大きかったから、雰囲気が怖かったよね。実際に話したらそんな怖いわけではなかったんだけど。でっかい体でちっちゃい字を書くのよ(笑)
深田 (笑)
内村 ショートコントのタイトルは作家が考えて出してたんだけど、絶対に星野さんが直してたね。作家が考えたのがそのまんま採用されたことは1回もなかったと思う。
深田 飛鳥さんと星野さんの関係はどんな感じだったんですか?
内村 ガチガチの上下関係って感じではなかったと思うよ。良き先輩というか。有無も言わせない先輩って感じでは無かった。飛鳥は星野さんの編集をストップウォッチで測って「フリが何秒」とか研究してたみたいよ。
深田 あ~、飛鳥さんもそういうことやられてたんですね。ではフジテレビの小松さんで印象に残っていることは?
内村 「ごっつええ感じ」で最初はADとして出会って、のちに演出になって。
で、「笑う犬」でも一緒にやっていたんだけど、小松も飛鳥と同じくらいクセがあったね(笑)会議も長かったし。
深田 僕は小松さんはお会いしたこともないんですが、どんな方ですか?
内村 僕の印象としては“コントに入り込む人”だね。コントを撮る時も、リハとかで自分で演じ始めると止まらなくなるんだよね。覚えているのは“考えごとをする時にティッシュを何枚も取るのが癖の人”のコントを撮る時、収録前にスタジオの隅でずっと小松が1人でティッシュを取ってるの(笑)1箱目のティッシュ全部抜き取って、2箱目も抜き取りだしたからね(笑)
深田 それはコントの細部までこだわるという意識からやっているんですかね?
内村 どうなんだろうね。演出である自分が全部見えてないと演者にやらせられないってことなのかな。飛鳥と同じように、当時の小松も全然寝てなかったと思う。
深田 そういう感じってフジテレビの文化なんですかね?それとも世代ですか?
やっぱり飛鳥さんとか小松さんの、噂で流れてくるエピソードがめちゃくちゃ面白いんですよね。「飛鳥さんが点滴打ちながら編集してた」とか。
内村 フジテレビの文化もあるかもしれないし、世代もあるかもしれないけど、僕からしたら当時としてもやっぱりあの2人の存在感は突出してたよ。僕の知る限りでは、あの2人はフジテレビの中でも特別な感じだった。
| 名前 | 内村 宏幸 うちむら ひろゆき |
| 出身地 | 熊本県人吉市 |
| 生年月日 | 1962年6月22日 |
| 主な担当番組 | – 夢で逢えたら – オレたちひょうきん族 – ダウンタウンのごっつええ感じ など |
Q:テレビ史上、最高の企画だと思うのは?
・「ドリフ大爆笑」の「もしも威勢のいいお風呂屋さんがあったら」
・「コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!」でやってた野球拳
・「電波少年」のヒッチハイク
・「めちゃイケ」の抜き打ちテスト
深田 ドリフの「威勢のいいお風呂屋さん~」を動画で検索して見てみたら、僕も見たことあるやつでした。内村さんがリアルタイムでこれを見たのっていつぐらいですか?
内村 記憶が定かではないけど、中学生ぐらいの頃に見たのかな。このコントは涙を流して笑った記憶がある。正直、未だにこのコントを超える面白いものって僕の中ではないね。
深田 へぇ~、人生で1番面白かったのがこのコントなんですね。
内村 ただただ、いかりや長介さんをイジメてるっていうコントなんだけど、これは有無を言わせずに笑わせるパワーがあるよね。当時は何も考えずに笑っていたけど、今見てみるとよく出来てるコントなんだよね。
深田 ちなみに内村さんのお笑いの源流みたいなのはドリフになるんですか?
内村 源流かどうかは分からないけど、小さい頃はやっぱりドリフをよく見てたね。もちろん、影響は受けてると思う。
深田 他に内村さんが放送作家として影響を受けた存在っています?
内村 僕の場合は漫画から影響を受けているところはあるかな。
深田 なんていう漫画ですか?
内村 強く影響を受けた漫画が2つあって。1つが相原コージさんっていう漫画家の「コージ苑」っていう漫画。もう1つが喜国雅彦(きくにまさひこ)さんっていう漫画家の「傷だらけの天使たち」っていう漫画。2つとも4コマギャグ漫画なんだけど、僕はこの2つの作品からは影響を受けていると思うな。
深田 恥ずかしながら2つとも初めて聞きました。今度読んでみます。あとは「野球拳」を挙げられていたのが意外でした(笑)僕はダウンタウンさんがMCでやっていた方のやつは、動画で見たことあるんですけど。
内村 これは紅白の裏でやっていたんだけど、子供ながらにドキドキしながら見てたね。「本当に裸になっちゃうんじゃないか!?」って思いながら見てた(笑)生放送で、紅白の裏で、この1つの企画だけで、長い時間持たせるっていうのがすごいなって思うよね。
深田 確かに「野球拳」を企画って思ったことなかったですけど、企画として考えたらすごい企画ですね。続いて、「電波少年のヒッチハイク」を放送していた時は、もう放送作家をやられてますよね?
内村 うん、そうだね。
深田 僕は中学生ぐらいだったと思うんですけど、プロから見ても凄い番組って思ってました?
内村 そうだね、衝撃だった。テレビでやれることの範囲をぐっと広げた番組だったと思うよね。僕は「電波少年」には参加していなかったけど、同じ時期に「ウリナリ」をやっていて、その会議でも土屋さんがヒッチハイクのことを話してたんだけど、僕は「テレビで成立させるのは難しいだろうな~」と思って聞いてたからね。カメラがいる時だけヒッチハイクをやるのかと思ってたら、あんなにずっと外国に行きっぱなしでちゃんとヒッチハイクやって、テレビの見せ物として成立するとは思わなかった。
深田 土屋さんも僕はお仕事したことないんですけど、どんな方ですか?
内村 やっぱり考えていることが面白いよね。誰もやっていないことをやろうとする姿勢がある方っていうか、先を見据えている感じというか。
深田 「ウリナリ」ってスタッフ的にも番組内容的にも「イッテQ」の源流のような番組ではあるじゃないですか?今思えば、当時すでにスターだったウッチャンナンチャンがドーバー海峡を渡るとか、すごいことやらせてたんだなって思うんですけど。
内村 よくやってたよね(笑)ドーバーを渡るのも初め聞いた時は絶対に無理だと思った。
深田 内村(光良)さん、体脂肪が無いから冷たいプールで泳ぐ練習で、気絶しそうになりながら泳いだりしてましたけど、あの地位にいながら、あんな頑張れるのって何なんですか?
内村 彼はね、追い込まれれば追い込まれるほど燃えるタイプなのよ。ドMなんだと思うよ(笑)あとは、彼は本当にコントが好きだから、さっきも話に出た、番組の最後にやるコントをやらせてもらえれば、他の企画は頑張りますよっていうスタンスだったんだと思う。
深田 あ~、コントをやらせてくれれば、他の企画はきつくても頑張るっていう(笑)内村光良さんのコント好きは、内村さんから見ても異常だなって思います?
内村 うん、異常だね。
深田 コントのどういうところがそんなに好きなんですかね?
内村 「夢で逢えたら」でコントをやって、コントの面白さに目覚めたっていうことは言ってたけどね。演じるのも好きだし、考えるのも好きだし、みんなで作り上げていくのも好きっていう。今もあれだけテレビをやっていても、舞台でコントをやってるから。自分でもコントを考えるしね。
深田 そんな人の近くにいたら、コントを書かなきゃいけない気持ちになっちゃいますよね(笑)
内村 そう。だから「あの人(内村光良)がコントをやるって言う限りは僕も書きますよ」っていう感じ(笑)
深田 (笑)「めちゃイケのテスト企画」は、僕も一応関わっていた番組なんで手前味噌みたいにはなりますけど、本当によく出来ている企画ですよね。
内村 そうだね。ドッキリもあって、回答イジリも面白くて、順位発表もドキドキして見られるっていう、あんなに色んなものが詰まった企画ってなかなかないなって思うね。
| 名前 | 内村 宏幸 うちむら ひろゆき |
| 出身地 | 熊本県人吉市 |
| 生年月日 | 1962年6月22日 |
| 主な担当番組 | – 夢で逢えたら – オレたちひょうきん族 – ダウンタウンのごっつええ感じ など |
Q:今後、関わってみたい番組は?
・「放送作家大学」というタイトルで、活躍中の放送作家の企画の考え方等を
東進ハイスクール方式の画で、放送はEテレ
・深夜の少しHなコント番組
・衝撃的な5分番組
Q:今後の放送作家としての展望や人生の目標は?
・海外のコント番組の脚本を書きたい
・お笑いを音楽と同等の価値にする
・ある程度の潤沢な予算で制作される上質なコメディ
・自分が書いたショートショートのアニメ化
・映画を撮りたい
Q:まだ出来ていないけどいつか仕事をしてみたい芸能人は?
薬師丸ひろ子
中井貴一
阿部寛
Q:放送作家になってから1番嬉しかったことは?
宮崎美子さんが人気絶頂のアイドルだった頃、自分は高校生で、地元熊本県で握手会があり握手をしてもらった。それから時が流れ、「サラリーマンNEO」という番組でゲスト出演してもらうことになり、打ち上げでその事を打ち明け、30年の時を経て、今度は自分だと認知されて再び握手をした。
あと、本を出版できたこと。
深田 「放送作家大学」っていうのは?
内村 他の放送作家の方もそうだと思うけど、この年齢になると仕事をするうえでの自分の教科書みたいなものが出来上がってるんだよね。そーたに君も高須君も中野君もみんな持ってると思う。そういうものをみなさんに伝えられないものかなと。テレビの仕事じゃない人も応用できると思うし。これをEテレでやりたいんだよね。
深田 これは放送作家はみんな見たいやつですね。あとは、海外のコント番組を作りたいっていうのは?
内村 2007年に「サラリーマンNEO」が国際エミー賞のコメディー番組部門にノミネートされて、他の国のコメディーも見たんだけど、正直、僕は日本のお笑いはレベルが高いんじゃないかと思ったの。だけど、やっぱり言葉の壁があって。日本のコメディーでも外国の人が笑うポイントって、変な顔した時とか、派手なリアクションの時なんだよね。まだその言葉の壁を乗り越えて、日本人で世界的にコメディーで大成功した人っていないと思ってるから、自分がそれになれればいいなと思ってるんだけど。
深田 お笑いで世界的に成功するって本当に難しいらしいですよね。英語が分かる人に言わせれば「日本人が思ってるよりはアメリカのコメディーは面白い」と。「つまらないんじゃなくて、うまく翻訳できてないだけだ」って言いますしね。特に日本のお笑いってニュアンスとか伝えるの難しそうですもんね。
内村 そう。日本の笑いの感覚を理解しつつ、翻訳できる人じゃないとダメだから。だからずっとお笑いを翻訳できそうな人を探してるんだけど、なかなか見つからない(笑)
深田 なかなかいないものなんでしょうね。海外のコメディー作品を見て、他に感じたことってありました?
内村 これは僕の感覚だけど、脚本家の地位が高いのかなっていうのは感じたかな。国際エミー賞にノミネートされた5か国で、セッションみたいなのがあったんだけど、そこで「サラリーマンNEO」の制作費を聞いた海外のテレビマンが、その安さにびっくりしていたの(笑)本当のところはちゃんと確認できていないんだけど、どうやら制作費が1桁くらい違うみたい(笑)たぶん脚本家のギャラも全然違うだろうし、脚本家の地位も日本とは違うような気がしたなぁ。
深田 そうですか。失礼ながらお会いする前から勝手な内村さんのイメージがあって、作家の地位とか気にしていない人かと思ってました。
内村 あぁ、そう?
深田 すごく職人的なイメージで「コントさえやれていれば俺は何でもいい」っていう感じなのかなと(笑)
内村 もちろん、そういう部分もあるんだけどね(笑)なんなら40歳まではそんな感じだった。40歳過ぎると色々なことを思うようになるんだよね。30代までは他人のことなんてどうでもいいと思ってたし(笑)だから自分がスクールをやるなんて思ってなかった。
深田 この取材のご挨拶と、今度改めてそのスクールの取材もさせていただくために、先日、スクールに見学に行かせてもらいましたけど、あれはいつからやられているんですか?
内村 あれは2013年から。
深田 どういう思いで始められたんですか?
内村 若い人にコントの書き手が増えて欲しいという思いもあるし、さっき「放送作家大学」の話の時にも言ったけど、自分が培ってきたものや歩んできた道みたいなものを伝えたいという気持ちになったんだよね。テレビ業界を目指していない人にも役立つ話は出来ると思うので。
深田 受講生の方々を見たら、年齢層も幅広くて、50代くらいの方もいましたもんね。このスクールから放送作家になられた方はいらっしゃるんですか?
内村 2人放送作家になってる。あと、APさんになった人もいるし。
深田 このスクールに関しては10月頃に改めて取材させていただきますので、よろしくお願いします。
内村 それは是非お願いします(笑)
深田 あとは、映画監督をやりたいというお気持ちもあるんですね?映画の脚本はやられたことはありますよね?
内村 脚本は「サラリーマンNEO」が映画をやった時と、ウッチャンが映画監督やった時に手伝ったくらいかな。
深田 監督はまだやられたことがないんですよね。どんな内容の映画を撮りたいとかはあるんですか?
内村 もちろんコメディー。僕はコメディーしかやらないと決めてるから。恋愛ものとか、感動するものは出来ないから(笑)最後に少しだけホロッと感動させる、とかはあるかもしれないけど。
深田 やっぱりご自身でもクリエイターとしてのアイデンティティは「お笑い」だという意識があるんですか?
内村 これも本に書いたけど、三谷幸喜さんに「サラリーマンNEO」に出ていただいた時にご挨拶させてもらったんだけど、そこで憧れの三谷さんからお褒めの言葉をいただいて「僕は一生お笑いを頑張ろう」って決意したから。
深田 後日、三谷さんのコラムに内村さんのことが書かれていたっていう話ですよね。三谷幸喜さんに褒められるってすごいですよね。憧れの人で、お仕事を一緒に出来てテンション上がった人って、三谷さん以外だと誰かいますか?
内村 志村けんさんだね。
深田 あ~、そっか。「となりのシムラ」ですよね。この薬師丸ひろ子さんっていうのは?
内村 薬師丸ひろ子さんは昔からのファン(笑)アンケートに書いている宮崎美子さんに会えた時はめちゃくちゃ嬉しかったから(笑)
深田 学生時代の憧れの人に会えた時ってテンション上がりますよね(笑)中井貴一さん、阿部寛さんもファンなんですか?
内村 もちろんファンなんだけど、このお2人はコメディーがうまいと思う役者さんだから、いつかどこかでお仕事したいんだよね。
深田 なるほど。内村さんは映画とかドラマを見る時も、役者さんをコメディーが出来るかどうかの目線で見てるんですか?
内村 そう。逆にそういう目でしか見ない。演技が上手くて、なおかつコメディーが出来る役者さんって、そんなにいないと思ってるから、そういう役者さんとは是非お仕事したいって思う。
深田 では最後に…「年齢を重ねることで何かを伝えたいという気持ちになってきた」とおっしゃっていましたが、後輩の放送作家に伝えたいこととかありますか?
内村 「やりたいことは全部やっておいた方がいい」っていうことかなぁ。僕は50歳過ぎてから色々やりたいことが出てきちゃったんだけど、やりたいとは思っていても体力がついてこないとか、発想が冴えてる30代の時にやれば良かったな、とか思うから。僕の周りの若い人で「やりたいことはあるけどもっと勉強してからやろうと思います」とか「今がそれをやるタイミングじゃないと思っています」っていう人がいるけど、「いやいや、今やった方がいいよ」って思うからね。若い時に思い付いたことは全部やるくらいの気持ちでいいと思います。
深田 これまた僕の勝手な内村さんのイメージで「放送作家は放送作家の仕事だけやってればいい」っていうような考えなのかと思っていたんですけど、全然そんなことないんですね?
内村 うん、むしろ新しいことが好きだから。アンケートにも書いたけど、アニメの仕事とかやってみたいし。会う人会う人に「テレビ以外の仕事やりたい」って言ってきたから。
深田 内村さんもテレビ以外の仕事をどんどんやりたいんですね。
内村 僕はこれまでの人生、ずっとサボってきたっていう意識があるから。
深田 サボってきた?むしろ、コントをずっと書き続けてきて、放送作家としてめちゃくちゃ頑張ってるじゃないですか。僕が言うのも失礼ですけど。
内村 何て言うんだろう…人から与えられたものをやってきただけっていう感じなんだよね。0から自分で作り上げたことがあまりないっていうか。それが50歳過ぎてから急に色々やりたいことが出てきたんだよね(笑)
深田 いや~、内村さんがそんなことを思ってるとは。
内村 だから1年だけでもどこかの事務所に所属して、マネージメントしてもらったら仕事の幅も広がるのかなって本気で考えてたことはあったんだけどね。だって映画監督とかはマネージメントしてもらったりしてるでしょ?放送作家ではあまりいないと思うけど。
深田 あ~、そうですか。
内村 だから、深田君のこの「放送作家名鑑」を聞いた時も凄いなって思った。確かに僕も知り合いからしか仕事が来ないなって心のどこかで思ったし。だけど、これまでは「放送作家は繋がりを大事にするしかない」としか言えなかったからね。だから、これは画期的なサイトだと思うし、みんながここに集まればいいのになって思うよ。僕もここに載ったのをきっかけに新たな仕事が来ればいいなって思うし。
深田 それは嬉しいお言葉です。ありがとうございます。これはしっかり書かせていただきますね(笑)僕としてもこのサイトがきっかけで内村さんに新しい仕事が来れば、めちゃくちゃ嬉しいですからね。
内村 ですので、このサイトも是非頑張っていただきたいです(笑)
深田 ありがとうございます!(笑)
| 名前 | 内村 宏幸 うちむら ひろゆき |
| 出身地 | 熊本県人吉市 |
| 生年月日 | 1962年6月22日 |
| 主な担当番組 | – 夢で逢えたら – オレたちひょうきん族 – ダウンタウンのごっつええ感じ など |
【取材後記】
放送作家とは不思議なもので、
一緒に仕事をしたこともなければ、会ったことすらない先輩にも憧れを抱く。
僕は、内村宏幸さんに憧れていた。
内村さんがどんなコントの案を出し、
会議でどんなアイデアをしゃべり、どんな台本を書くのか?
僕は知らない。
めちゃくちゃ失礼な言い方をすると、
内村さんが本当に面白い人なのか?優秀な人なのか?
僕はこの目で見たことが無いので実のところは今でも知らない。
でも、若手の放送作家にとっては、
仕事をしたことがなくたって、会ったことがなくたって、
「エンドロールで見る名前」と「歴代の担当番組」だけで、
“憧れる理由”として成立しちゃうのだ。
歴史に残る数々のお笑い番組を担当し、
大好きなウッチャンナンチャンを影で支えてきた内村宏幸さんに、
憧れないワケがないのだ。
そんな憧れの内村さんとはこの取材がほぼ初対面だった。
取材で記憶に残っていることといえば…「とにかく優しい」ということ。
「連絡遅くなってごめんね」
「こんなに混んでるカフェを取材場所に選んじゃってごめんね」
「2時間もしゃべっちゃってごめんね」
この優しさは内村家の血筋なのだろうか?
たぶんだけど、この穏やかさとか優しさは、
「年齢を重ねて丸くなった」という類のものではない。
きっとこの人は生まれながらに優しい生き物なのだ。
そして、意外だったことは…「新しいことをやりたい意欲が強い」こと。
内村さんの経歴から、勝手に僕は職人肌の人物をイメージしていた。
「放送作家はテレビの仕事だけやってりゃいい」
「俺はコントさえやれたら他にやりたいことはない」
こんな感じの人だと勝手に思い込んでいた。
だから、この放送作家名鑑もあまり良く思ってもらっていないのではないか?とすら思っていた。
それが蓋を開けてみると「凄いと思った」とのお言葉までいただいてしまった。
生まれながらの優しさ、コントを何十年も書き続ける一途さ、
新しいモノを受け入れる柔軟性。
そりゃあ、みんな「この人と一緒に仕事をしたい」って思うよな~。
内村さんへの憧れは、取材したことでさらに強くなった。

