名前内村 宏幸
うちむら ひろゆき
出身地熊本県人吉市
生年月日1962年6月22日
主な担当番組– 夢で逢えたら
– オレたちひょうきん族
–  ダウンタウンのごっつええ感じ
など

Q:仕事を始めてから1番衝撃を受けた放送作家は?

そーたにくん

Q:仕事を始めてから1番衝撃を受けたディレクターは?

片岡飛鳥 星野淳一郎 小松純也

Q:自分がディレクターだったら放送作家は誰を呼ぶ?

名前を挙げたらキリがないです。
現在一線で活躍している人で、
自分の考えをうまく汲み取って的確なアイデアを出してくれる人。


 そーたにさんと初めて仕事をされたのは何の番組ですか?

 僕は放送作家デビューからずっとフジテレビで仕事をしてたんだけど、「ウリナリ」の前身番組の「ウンナン世界征服宣言」っていう番組で、初めて日テレで仕事をしたんだよね。その番組の演出が「電波少年」で有名な土屋敏男さんで、土屋さんが呼んだ作家が都築君、おち君、海老君、中野君、そーたに君といった人たちだったの。そこで、それまでやっていたフジテレビのコント作家とはまるで毛色が違うタイプの作家たちと出会って、カルチャーショックを受けた感じだったね。「企画を考える能力ではこの人たちには絶対に勝てないな」って思ってた。

 へぇ~。

 で、「ウリナリ」では最後にキャラクターコントをやっていたんだけど、僕はそのコントコーナーの担当だったの。

 僕は「ウリナリ」がめちゃくちゃ好きだったんで覚えてます。ホワイティとかやってたコーナーですよね。

 そう。僕としてはそのコントのコーナーで頑張らなきゃいけないと思ってやっていたんだけど、ある時に、理由は忘れちゃったけど、そーたに君もコントを書くことになって。「この人はどんなコントを書くのかな?」って思いながら、いざ台本を見たらそれがめちゃくちゃ面白くて。「コントもこんな面白いのが書けるのか!?」って衝撃受けたんだよね。

 へぇ~!

 勝手に「この人たちはコントは書かない作家」って思ってて、畑が違う作家だと思ってたんだけど「コントもこんなに書けるんなら勝つとこないな」って思ったね(笑)本人は覚えているか分からないけど、僕の中では衝撃だったね。「世の中には凄い人がいるもんだな~」って。

 そうですか~。すごい話ですね。では、ディレクターのお話に移らせていただきますが、片岡飛鳥さんとは「やるやら」で出会われているんですよね?

 そう。

 僕も「めちゃイケ」でご一緒してますので少しは存じ上げてますが、どんな人でした?

 よく言われる飛鳥の超長い会議は、半分は僕のせいだって言われてるから申し訳ないなって感じだよね(笑)

 内村さんのせいなんですか?(笑)

 僕も放送作家になりたてで、飛鳥もディレクターになりたてで、2人とも雑談が好きだったから、2人でやる打ち合わせの冒頭は2時間ぐらい雑談してたね(笑)

 すごいですね(笑)飛鳥さんとのエピソードで覚えていることはありますか?

 長い会議ってことで覚えてるのは、あるドラマのパロディコントをやる時に、打ち合わせでそのドラマを1話から全部見たってのがあったね(笑)朝までずーっと会議室でドラマ見るのよ(笑)

 すごいですね(笑)僕はその感じは少しわかりますけど(笑)

 当時の飛鳥は本当に寝ずに仕事やってたね。「やるやら」のコント収録で、オチまでいっても「ディレクターの飛鳥のオッケーの声が来ないな」って、
みんな不思議に思ってたら、飛鳥がサブ(副調整室)で泡吹いて倒れてたってことがあったよ(笑)ずっと寝てなくて、コントの収録中に限界が来たっていう(笑)

 (笑)

 そんな状態なのに翌日、北海道のロケに飛鳥が「行く!」って言うから、みんなで必死に止めた記憶があるよ(笑)

 やっぱバイタリティーがとんでもないですね(笑)

 飛鳥との長い打ち合わせも、僕は楽しいと思ってたんだけど、今思えば周りのADさんとかは嫌だっただろうね(笑)それに当時の僕はフジテレビの長い会議が当たり前だと思っていたから、その後はどんな会議も耐えられたよね(笑)

 飛鳥さんの独自の演出は当時からもう出来上がってました?

 それは出来上がっていたと思う。フリからオチまでちゃんと全て見えないと会議が終わらないっていう。

 なるほど。あと、星野淳一郎さんも伝説のテレビマンですよね。「27時間テレビを作った人」って噂で聞きますけど。

 そうだね、16歳くらいからテレビ局で働いてたって人。フジテレビの社員ではないんだよね。

 星野さんとは「夢で逢えたら」でご一緒されてたんですよね?

 そう。星野さんがバンドのコーナーとショートコントを演出されてた。

 ディレクターとしてどんな印象ですか?

 几帳面かなぁ。片岡飛鳥が師匠と思っている人だからね。コントのことなら全てわかっているっていう感じだった。身長も190センチくらいで大きかったから、雰囲気が怖かったよね。実際に話したらそんな怖いわけではなかったんだけど。でっかい体でちっちゃい字を書くのよ(笑)

 (笑)

 ショートコントのタイトルは作家が考えて出してたんだけど、絶対に星野さんが直してたね。作家が考えたのがそのまんま採用されたことは1回もなかったと思う。

 飛鳥さんと星野さんの関係はどんな感じだったんですか?

 ガチガチの上下関係って感じではなかったと思うよ。良き先輩というか。有無も言わせない先輩って感じでは無かった。飛鳥は星野さんの編集をストップウォッチで測って「フリが何秒」とか研究してたみたいよ。

 あ~、飛鳥さんもそういうことやられてたんですね。ではフジテレビの小松さんで印象に残っていることは?

 「ごっつええ感じ」で最初はADとして出会って、のちに演出になって。
で、「笑う犬」でも一緒にやっていたんだけど、小松も飛鳥と同じくらいクセがあったね(笑)会議も長かったし。

 僕は小松さんはお会いしたこともないんですが、どんな方ですか?

 僕の印象としては“コントに入り込む人”だね。コントを撮る時も、リハとかで自分で演じ始めると止まらなくなるんだよね。覚えているのは“考えごとをする時にティッシュを何枚も取るのが癖の人”のコントを撮る時、収録前にスタジオの隅でずっと小松が1人でティッシュを取ってるの(笑)1箱目のティッシュ全部抜き取って、2箱目も抜き取りだしたからね(笑)
   
 それはコントの細部までこだわるという意識からやっているんですかね?

 どうなんだろうね。演出である自分が全部見えてないと演者にやらせられないってことなのかな。飛鳥と同じように、当時の小松も全然寝てなかったと思う。

 そういう感じってフジテレビの文化なんですかね?それとも世代ですか?
やっぱり飛鳥さんとか小松さんの、噂で流れてくるエピソードがめちゃくちゃ面白いんですよね。「飛鳥さんが点滴打ちながら編集してた」とか。

 フジテレビの文化もあるかもしれないし、世代もあるかもしれないけど、僕からしたら当時としてもやっぱりあの2人の存在感は突出してたよ。僕の知る限りでは、あの2人はフジテレビの中でも特別な感じだった。