

名前 | 谷田 彰吾 たにだ しょうご |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
生年月日 | 1980年6月3日 |
主な担当番組 | – 中田敦彦のYouTube大学 – まふまふの『ひきこもりでも◯◯したい!』 – 青春高校3年C組 など |
アンケートへの回答をもとにインタビュー取材
Q:放送作家になったきっかけは?
大学4年で劇団を解散し、これからどうしようという時に、TV業界に進んでいた先輩に勧められ、作家事務所の入所試験を紹介してもらった。
Q:人生で1番好きだったテレビ番組は?
水曜どうでしょう
深田 大学で演劇をやられていたとのことですが、差し支えなければ、どこの大学に通われてたんですか?
谷田 明治大学です。明治大学って演劇学科もあって、演劇が盛んな大学なんですよ。ぼくは演劇学科ではなかったんですけど。「騒動舎(そうどうしゃ)」っていう演劇サークルに入って、役者としてもやりつつ、脚本を書いたりもしていたんですよ。有名どころだと「ジョビジョバ」がこのサークル出身なんです。
深田 あ~、そうなんですか。谷田さんがやっていたのはコメディですか?
谷田 そうです、コメディをやってました。で、大学4年の春にジーワンという制作会社で働いていたサークルの先輩から「うちの会社に放送作家部門があるから受けてみないか?」と言われて、試験を受けに行ったんです。
深田 それまでは放送作家になりたいとは思ってなかったわけですよね?
谷田 そうですね。おもしろいものを作るのは好きでしたが、具体的に放送作家というビジョンがあったわけではないです。でも、放送作家って響きはかっこいいし、めったにいないし、なれるなら面白いかな、目立てるかな、くらいのノリでした(笑)
深田 試験はどんな内容だったんですか?
谷田 一次と二次があって、一次は時事ニュースの知識テストと作文と面接でした。時事テストは時事ネタをどういう目線で斬るか?とかじゃなくて、単純に知っているかどうか。面接の時に、「君は声がいいからナレーターになった方がいいよ」と言われたので「落ちたな」って思ったんですけど、運良く二次に進むことができて。二次は企画書を書いてプレゼンする試験。こっちはそこそこ手応えありました。無事に合格通知が届いて、それからジーワンで働くことになりました。
深田 最初はどんな感じで働いていたんですか?リサーチとかネタ出しですか?
谷田 そうです。毎日会社に行って、先輩のやっている番組のお手伝いとか、実際に番組にも入れてもらったりしてました。出勤初日からクイズ作りましたよ。
深田 放送作家としての1本目の仕事は?
谷田 何を持って放送作家デビューかが難しいですけど、自分の書いた台本がオンエアでちゃんと読まれたってことで言うと、フジテレビの「すぽると」ですね。確か2年目くらいの時に入れてもらった番組です。
深田 あ~、「すぽると」をやられていたんですね。
谷田 元々は演劇サークルでもコメディをやっていましたし、バラエティ志望でしたけど、放送作家として働き始めてからはスポーツ系の番組をやることが多かったですね。「バースデイ」とか「プロ野球戦力外通告」とか。
深田 ぼくも一応スポーツキャラを売りにしたいとは思ってる作家なので、谷田さんのやられてる番組は羨ましいやつ多いですね(笑)ちなみに、今は独立されてますけど、独立したタイミングは?
谷田 今39歳なんですけど、34歳くらいの時ですね。
コンスタントに更新されていて嬉しいです!自分は業種も違いますがアイディアを生み出す、今回なら目線を大切にするという部分がためになります。物語としてもシンプルにおもしろい!