

名前 | 矢野了平 やの りょうへい |
出身地 | 埼玉県さいたま市(旧・大宮市) |
生年月日 | 1977年6月19日 |
主に担当番組 | – ミラクル9 – 潜在能力テスト – 今夜はナゾトレ – 99人の壁 など |
Q:仕事を始めてから1番衝撃を受けた放送作家は?
北本かつらさん
自分が若手の頃はかつらさんのトークが聞きたくて会議に参加していた。
深田 かつらさんは僕も知ってますけど矢野さんも若い頃から一緒にやられてるんですか?
矢野 個人的に初めて仕事を振ってくれた恩人がかつらさんだったんです。ラジオで知り合って深夜のテレビ番組に呼んでくれたんですよ。「どこで寝泊まりしてんの?」みたいな恰好して会議に来て宿題も会議来る直前に手書きでささっと書いたみたいな感じでしたけどおしゃべりで会議を盛り上げるのはもちろん宿題のネタも面白いし、番組の芯はブレさせないっていう人間性はともかく、放送作家としてちゃんとしてるんですよ(笑)
深田 ただのダメ人間じゃないと(笑)今と昔でかつらさんはキャラは全然変わってないですか?
矢野 今は結婚もされてお子さんもいらっしゃいますから失礼な言い方になりますけど最近はちゃんとされてるなって感じはします(笑)昔の方がめちゃくちゃだったと思いますよ。
深田 ちなみに作家としての師匠みたいな存在はいるんですか?
矢野 それは間違いなくうちの事務所の社長です。
これ1番感謝してるっていうやつがあってぼく、事務所に入ってから「3年間クイズ禁止」だったんです。事務所からもらったクイズ番組はいいけどクイズサークルに顔出したり、個人でクイズの仕事取るのはダメだと。それはなぜかっていうとクイズの仕事しか来なくなるから。
深田 あ~なるほど
矢野 それは大きかったと思いますね。1番感謝してます。
深田 話飛びますけど作家として転機になった番組って何ですか?
矢野 それは「トリビアの泉」ですね。「トリビア」が深夜からゴールデンに上がるときに酒井健作さんにリサーチャーとして呼んでいただいたんです。それで途中からは構成作家としても入れてもらって。それが作家4年目くらいだったと思いますけど構成作家としてのレギュラー番組は「トリビア」が1本目です。
深田 「トリビア」から仕事が広がっていった感じですか?
矢野 そうですね。「トリビア」というキラキラした名刺をもらったことで「彼、若手だけどトリビアをやっている作家」って紹介してもらえるようになったんですよ。紹介する側もたぶん紹介しやすくなったんだと思います。そこから一気に仕事が広がった感じありますね。
グルメ番組お好きなんですね。血液検査の値がきになります。スンマセン💦